パンター「5号戦車」(SdKfz 171)
全長:        8.86m
車体長:       6.94m
全幅:        3.27m
全高:        2.99m
重量:          45t
装甲:     13〜120mm
乗員数:        5名

上記データはG型のものです
武装:70口径75mm砲×1
     (79発搭載)
    7.92mm機関銃×2
     (4500発搭載)
動力:マイバッハHL230P30
    594馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:46km/h
       航続距離:200km
総生産台数:5995両
 パンター戦車は開発指示が1938年と結構早い。ただし、初めは20tクラスの中戦車で、ようは3号戦車の後継機種だった。しかし開発自体はのんびりと行われていたかやっていなかったかのどっちかで、1941年の独ソ戦でT-34戦車と遭遇して「30tクラスの中戦車」と格上げとなった。また捕獲したT-34戦車を徹底的に調査しているので実質的には1941年後半からの開発開始と考えてもいいだろう。
 戦場で捕獲したT-34戦車は車体前面装甲が45mmととりたてて厚いものではなかったが、この装甲でも当時のドイツ戦車では1000mの距離では貫通できなかった。特にT-34戦車は装甲が前面砲塔以外は傾斜が与えられていた。傾斜角度が30°傾いている場合、三角関数を使って計算すればわかるけども装甲厚が40mmの場合は30°傾斜で実質的に56mmの装甲と同じだった。そのため、1941年の独ソ戦初期の頃でこのT-34戦車を撃破するにはうんと接近するか88mm高射砲の水平射撃しかその見込みはなかった(足回りを攻撃するという戦法もあった)。ただ、当時のソビエト軍はT-34戦車の配備数がさほど多くなかったのと戦車同士の連携が悪い事もあり、次々と撃破され、捕獲されていった。パンター戦車はこの傾斜装甲を採用している。単純に傾斜させるだけではなく、最大装甲も80mmと当時のドイツ戦車にしては相当な厚みを持たせた。また、搭載する大砲も70口径75mm砲と長砲身の大砲を作らせて攻撃力の増強を図った。ただ、装甲80mmは中期になってくると不足気味とはなってくるようにはなってきた。転輪は内外いれごの挟み込み方式で、ようはティーガー重戦車と同じ方法ではあるが、第一転輪(一番前の転輪)が内側にきていたので、ティーガー重戦車のように泥つまりは起きなかった。しかし、パンター戦車も駆動系がアキレス健となっていた。30t戦車の予定が、大きい大砲・より厚い装甲のせいで45tまで重くなってしまったからだった。1942年終わり頃に完成・採用され同年11月からは量産に入った。この初期の量産型をD型というが、重量増加のためトランスミッションあたりにいろいろな新機軸を取りこんでいる。しかしこれは十分な実験を行っておらず、不安は残ったもののそんな時間的余裕はなかった。
↑パンター戦車D型。
 初陣は1943年7月のクルスク戦(チタデレ作戦)といわれる。戦場投入を急いだため、トランスミッションなどの足回りやエンジン冷却の問題は2の次でとにかくこの作戦への大量投入を急いだ。実際、5月が作戦予定だったものの、これら新戦車投入のためにわざわざ2ヶ月も作戦時期をずらしていたのだった。第10戦車旅団に約200両が配備されたものの、上記欠点が露呈して、稼動したのは約40両に過ぎなかった。当時の1個中隊の戦車定数は16ないし17両で1個小隊では5両だった。早い話が1個小隊で1〜2両しか動かなかった計算になる。これで何ができようか。結局期待倒れに終わり、作戦途中に西側連合軍がシチリア島に上陸した事もあり、チタデレ作戦は中止に終わった。
 D型に代わりいろいろなトラブルを解決させたA型が1943年8月から登場したけども、これでもまだ足回りが弱点だった。ようやく解決したのがその次のG型で、これは1944年から登場した。この頃になるとすでに勝敗は決していた時期で、時すでに遅い感はあるものの、走・攻・守の3拍子そろった第2次大戦中の優秀な戦車の1つだった。イタリア戦線や1944年6月以降のノルマンディー戦以降に対峙しているアメリカ・イギリス連合軍は寡兵でも強い戦車のパンター戦車に苦戦するのだった。いくら航空支援があったとはいっても、当時はまだ完全ではなく、だいいち戦車には戦車を当てるのが一番確実な戦法だから、攻撃力・防御力ともに劣るM4シャーマン戦車では分が悪かった。アメリカ軍兵士の証言では
「1台のパンター戦車には5台のM4シャーマン戦車を充てなければいけなかった」
とある。ようは5倍の力を持ったパンター戦車ではあったが、結局はドイツを守りきれなかった。

なぜか?。

残念ながら連合軍は10倍の戦車の数で攻めてきたからである。 総生産数は5995両と主力戦車と呼ぶにふさわしい数が生産されたが、連合軍はその10倍ずつの主力戦車(T-34戦車とM4シャーマン戦車)を生産していたのであった。
 ドイツの敗戦直前にパンター戦車の工場を占領した連合軍はパンター戦車最終型のF型を発見した。それは新型の小型砲塔にステレオ照準器(後述)を搭載した最新型で、実際に戦場に出た記録がないものの、敗戦間際でも新型パンターを開発していたのである。それほど期待されていた証でもあろう。


  パンター戦車のバリエーション

 パンター戦車D型:
 最初の量産型。制式化を急いだため、トランスミッションやエンジン冷却に問題を抱えたまま戦場に投入された。そのため、初陣のクルスク戦では戦力とはならなかったものの、これをパンター戦車のみに押しつけるのは酷だろう。この型は前方機銃が主砲同軸機銃のみで、無線手用の機銃はついていなかった。842両が生産された

↑型式不明。おそらくG型
 パンター戦車A型:
 D型の次はE型にならなければいけないのに、なぜかA型となっている。これは書類上でのミスからこうなったとされる。D型の欠点をある程度改善した型で、それなりに、頑丈になったものの、それでも足回りの欠点は完全には改善されなかったとされる。外見上で変わった点は車体前方に無線手射撃の前方機関銃が増設されたのが大きな違いで、あとはキューポラに新型ペリスコープが付けられて、対空機銃マウントも付けられた。しかし実際に対空機銃を装着しているパンター戦車は当時の写真を見る限り殆ど見掛けない。約2000両が生産された。

 パンター戦車G型:
 パンター戦車量産型の決定版。最大装甲を120mmとかなり強化している。ただし、薄い所は13mmであるがそれは上面であり、1000ポンド爆弾を食らったら120mmだろうが13mmだろうが防ぎきれないので、それでもよかったのだろうし、装甲重量配分もとれていた。また、兵器面でも92mm擲弾発射器を歩兵蹴散らし用に配備するなど強化されている。また、後期型では砲塔防盾が新型になっている。今までの防盾は丸みを帯びていていかにも被弾に有効な感じがするけども、半分から下に被弾した場合、砲弾が滑って車体と砲塔の間に直撃する事例が多くあった。砲塔旋回ができなくなる事例も多かったし、間に潜りこまなくても車体上を直撃して、だいたいの戦車では車体上は装甲が薄いので貫通する例も多かった。そのためアゴを設けて極力そういう事を避けるようにしている。時すでに遅かった感はあるものの、戦場に登場したパンター戦車G型は強力無比の活躍をしたのは言うまでもない。細かい点をいえば、車体全部のハッチが回転式から生産が楽なヒンジ式に変えられた。3126台が生産された。

 パンター戦車F型:
 G型の次がF型というのも妙ではあるが、これも書類ミスなのだろうかしら?
 F型は以前の3型とは砲塔が全く別の新設計となっている。砲塔は正面の丸みがなくなり、どちらかというとティーガー2重戦車をコンパクトにしたような感じになっている。一番の違いは、照準装置で、本来は砲手の前に覗き穴があったけども、このF型ではステレオ式照準が採用されている。砲塔の左右に分かれて覗き穴があるのである。ステレオ式照準については少し説明がいるだろう。この装置は主に高射砲部隊や長距離砲部隊で使われているもので、左右に覗き穴が広がっていて、そこを覗くと上に右側の映像が、下に左側の映像が映る(逆かもしれない)。そこで、照準手はダイアルをグリグリ回して、目標が上下一致したらその目盛を読めば目標の距離がわかるという仕組みである。単眼式よりはかなり正確な距離が出せるという利点があるものの(単眼式では目盛りの中に相手の戦車を映し出してだいたいの距離を読み取る方式なので、相手の戦車車体の寸法を知っていないと正確な距離が出せない)、左右砲塔に出っ張っているので被弾に弱いような気がしないでもない。
 終戦前後の写真でこのパンター戦車F型が工場で生産中のが残っているけども、実際に完成したのか?また戦場に出たのかは記録にはない。


 5号駆逐戦車「ヤークトパンター」:
 パンターの車体をベースに生産が簡単な固定砲塔をつけた駆逐戦車。詳細は別項を参照して欲しいが、砲塔が限定の角度しか動かないという欠点を除けば、すばらしい駆逐戦車だった。大砲はティーガー2重戦車と同じ71口径88mm砲で、装甲も100mmととりたてて厚いものではないが、傾斜があるので、対被弾性は良好だった。392両が生産された。


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