全長: 5.80m 車体長: 5.80m 全幅: ?.??m 全高: 2.16m 重量: ??t 装甲: 6〜14mm 乗員数: 2+10名 |
武装:7.92mm機関銃×1 動力:100馬力ガソリン機関 走行性能:最大速度:53km/h 航続距離:300km 総生産台数:約15000両 |
|
第二次大戦初期のドイツ軍の電撃戦は大きな戦果を上げた。ポーランドを1ヶ月で屈服させたし、特に陸軍大国フランスを1ヶ月で屈服させた事実は世界に大きな衝撃を与えたとともに、各国に「戦車は歩兵の支援用」という認識を改めざるを得なくさせていた。ドイツ軍の戦車は強いかといわれればそうではなく、第二次大戦初期ではドイツ軍の戦車は相手(ポーランドやフランスやイギリス)と比べても大差なかった。それどころか、戦車の数が足らず、20mm機関砲が主力兵器の軽戦車"2号戦車"や、はたまた訓練用の"1号戦車"(7.92mm機銃×2)まで引っ張り出してもまだ足りないくらいだった。実際のドイツ軍の強さは、戦車・歩兵・砲兵・攻撃機の一体となった攻撃だった。攻撃機・大砲が相手陣地を攻撃し弱体化させ、戦車が突破し、歩兵が戦果を拡大した。この緻密な攻撃方法が本当のドイツ軍の強さの理由だった。 ただ、戦車単体の攻撃では歩兵にやられてしまう事もあり、戦車に随伴する歩兵が必要だった。言うまでもなくどんなに足の速い人間でも戦車の速度にはついていけない。歩兵は10kg以上の装備があったし、だいいち、駆け足したらへたばる。そこで、トラックの登場となるけども、トラックでは路外では戦車に追いつけなかった。それだけではなく、防御力がまったくなく、ライフル弾1発でも当たり所が悪ければ動けなくなった。かくしてキャタピラ式の装甲兵員輸送車が誕生した。 戦車運用先進国のドイツでは1937年にすでに、装甲兵員輸送車の必要性の痛感していた。 ・ライフル弾や砲弾の破片を防げる装甲を持つ事 ・戦車と行動を共にできる事 ・1個分隊(10名。乗員を除く)が乗車可能な事 特にこの点を重点課題として、装甲兵員輸送車が開発された。ただ、1から作ると金がかかるからか、半装軌式の牽引車"SdKfz11"に装甲を施した装甲兵員輸送車を開発した。これが"SdKfz251"だった。 SdKfz251は半装軌式・・・つまり、前輪がタイヤで後輪に相当する部分がキャタピラの車両だった。俗に「ハーフトラック」と呼ばれる種類で、中途半端な印象を受けるが、車輪式のトラックよりは不整地での機動力はあったし、全部キャタピラ式の車両よりは安く簡単に作れると、この当時にしては利点が多かったという理由で第二次大戦前から戦中にかけていくつもの国で開発された。 SdKfz251は1939年6月には生産が開始された。ポーランド戦には間に合わなかったものの、それ以降の戦いではドイツ軍の装甲師団の兵員輸送用に使われた。総生産数は15000両以上にも及んだものの、それでも需要の半分以下でしかなかったという。その数が足りなかったという理由だけではなく、言うまでもなく、第一線で活躍する兵器のため、損耗が激しかった事と、連合軍の執拗な空襲で戦場到着前に破壊された車両少なからずあった事。また、汎用性があるので、37mm砲搭載型や8cm迫撃砲搭載型などの支援兵器にされたという理由もあった。 各戦線で頻繁に活躍したSdkfz251であったけども、ハーフトラックは、路外性能では全キャタピラ式に劣り、生産性ではタイヤ式のトラックに劣るなどの中途半端な理由もあって、戦後はまったくといっていいほど使われなくなった。ハーフトラックは第二次大戦のアダ花だったのだろうか? Sdkfz251は、ハーフトラックなので前輪がある。戦車と違って車体を曲げる際は前輪を曲げて旋回していた。ただ、後ろはキャタピラなので前輪だけでは曲がりきれないから、左右ともに15°以上曲がる際は曲がる方向の後ろキャタピラにブレーキがかかり(クラッチで回転を適度に遊ばせて回転を調整する仕組みとする資料もある)旋回を補助していた。アメリカのM3ハーフトラックと違ってキャタピラ部が長いドイツのハーフトラックならではといえるが、早い速度の場合は細かな操縦が難しかったのではないかと思える。ちなみに、ドイツのハーフトラックでは前輪は操縦以外の機能を持たないが(ブレーキもない)アメリカのハーフトラックは駆動もしたしブレーキもあった。キャタピラが短いからだといえば仕方がないが。 エンジンはマイバッハの100馬力エンジンが使われていた。頻繁に比較して悪いがアメリカのM3ハーフトラックは150馬力もあったのだから、この点ドイツは劣っていた。 車体構造は、車体前部から、ラジエーター・エンジン・操縦席・兵員席と、トラックとあまり変わりはない。違うのは、後輪がキャタピラなのと全周に装甲が施されている点にあった。ただ、全周といっても兵員室の上面はガラ空きだった。オープントップな理由はそこから身を乗り出して射撃するためと考えられるが、雨防げないので兵員からは不評ではなかったのかと思えなくはない。また、装甲で覆われているとはいえ、エンジンの点検・整備は必要なので、エンジン部分上面は観音開きの装甲板が付けられている。普通、戦闘車両は一番攻撃を受けやすい車体前部に開口部やら、ドアやらを付けるのを嫌うが、このSdkfz251に限っていえばどうせ、砲弾の直撃を受けたら助からないのだから、それでも問題はなかった。 操縦はハンドルで行う点は当時の戦車とは異なっているが、前輪が車輪なのでそうなってしまうのだろうか?変わっているのは、このハンドルが普通の自動車と違って、下を向いている点で、この点は操縦しにくかったのではないか? 兵員室は10名が搭乗できる。ただ、兵隊は自分の所帯道具一式(着替えの下着とか)や鉄砲をつむので、完全武装の10名全員を乗せた場合、窮屈ではなかったかと思える。ちなみに、ライフルの収納場所は大抵の車両は、ガンラックがあってそこに立てかけるけども、窮屈だからか、Sdkfz251は座席後ろのケースに横たえていれていた。そのため、不意の戦闘の際は困ったのではないかと想像される。 車体後部は開閉ドアがあった。そこから兵隊は乗り降りするものの、実際には降りる際か上部から乗り越えて降りていたらしい。車体自体が2mもなく(機銃防盾の一番高い所でも2.16m)また、途中に踏み台代わりの雑具入れもあったから、そっちが迅速だったのか?。ドアの下部には牽引用のシャックルがあった。これは牽引輸送車のなごりといえるが、当然ながら実際に大砲の牽引も可能だった。ただ、装甲が追加されている分車体が重くなっているので、150mm榴弾砲とかいった重砲は牽引できなかったと考えられる。 車体全体をみると、装甲は、一番食らいやすい車体前部が15mmで側面・後面が8mm。車体下が6mmとなっていた。また、防御効果を上げるため、傾斜装甲を積極的に採用し、垂直な側面部には雑具入れを設けるなどして積極的に防御効果増大の策が取られていた。ちなみに、この側面雑具入れには工具や兵隊の所帯道具を入れていた。言うまでもなく、手榴弾や実弾を入れる事はしなかった。この程度の装甲では砲弾の直撃は防げなかったが、銃弾や砲弾の破片は充分に防げたから、その役目は立派に果たしたといえるだろう。 Sdkfz251はその生産型でもA型からD型の4種類があった。しかし詳細はよく知らないのです(涙)。大量に作られたのはC型で1940年末から1944年初頭まで生産がなされた。このC型はA型、B型と違って、製造方法がすべて溶接式となっていた点が特徴だった。ただ、製造場所は何個所もあったので生産方法の統一はなされず、A型、B型と同様なボルト止めのC型もあったといわれている。また、このSdkfz251をベースにいろいろな車両に改造された。以下に一部を紹介したい。 SdKfz251/2 8cm迫撃砲搭載型: 迫撃砲は命中精度が悪いという欠点があったものの、反動が少なく、砲の重量もさほど重くはないことから、歩兵支援大砲として今でも重宝がられている。ただ欠点もいくつかあった。強力な歩兵支援が行えるため、敵にしては脅威だから真っ先に狙われた。そのため防御陣地構築は必要で2m近く穴をほってそこを陣地にしていた。言うまでもないが面倒である。また、8cmクラスの迫撃砲でも重量は70kg近くになったため、歩く歩兵で移動させるには難点があった。無論そのまま運ぶのは無理なので、砲身と三脚と床板の3つに分けてからそれぞれ担がせたり背負わせたりさせて運んでいた。それでも25kgぐらいになるから、歩兵にとっては重労働だった。そのため迫撃砲の兵員には腰に障害をきたすものが少なからずいた。そのせいか、迫撃砲を扱わない歩兵でも腰の障害を「重迫病」と言っていた。以上余談。 さて、こんな迫撃砲だから車両に乗せれば「重迫病」もなくなるし、面倒な陣地構築も不必要だった。何発か撃ったら移動すればいいし、それも迅速に行えたからである。 8cm迫撃砲といっても実際の口径は81.4mmだった。これを搭載して歩兵支援に活躍した。また迫撃砲は煙幕弾や照明弾も撃てたため、汎用性はかなりあった。 SdKfz251/3 無線車: 冒頭に「戦車・歩兵・砲兵・攻撃機の緻密な攻撃」というのを書いた。それを可能にしたのは無線によるコミュニティの確保だった。無線車は型式が8種類あって、これは搭載する無線種類によって分別されていた。部隊の指揮をする無線車や航空機と会話をする無線機などがあった。 SdKfz251/10 3.7cm砲搭載車: 3.7cm砲とはようは37mm対戦車砲の事。1940年にはすでに旧式に属し、翌年の対ソビエト戦で約に対戦車用には全く無力だと判明した対戦車砲だけども、軽量なので、歩兵の攻撃に支援する直射歩兵砲として使われるようになったこの大砲を搭載した。ようは下車した歩兵を支援するために積んだ。軽量なのと反動が大きくないので、搭載には問題はなかった。ただし、所詮は口径37mmなので榴弾の威力は手榴弾以下で、徹甲榴弾を使用しての陣地攻撃などに使われたのだろう。 SdKfz251/20 夜戦型: SdKfz251に赤外線暗視装置を搭載した型。原理は、人間の目で見えない赤外線を照射して、赤外線暗視装置で見る仕組みで、夜間でもバッチシ見えた。無論夜戦での暗視装置の有無は戦闘結果にモロに影響した。しかし赤外線照射の欠点は、相手が同じ装備をしていた場合、自分の位置が暴露してしまう点にあった。ただ、第二次大戦末期の段階ではこの赤外線暗視装置も連合軍にはほとんど普及していなかったせいもあって、そこそこに活躍したと考えられる。しかし問題なのは数量で、60両前後の配備では戦局に影響を与えるまではいかなかった。 あと、4号戦車が24口径75mm砲から43口径75mm砲に交換した際に余った24口径75mm砲搭載型もあります。制式名がわかんねす(;_;)。また、28cmロケット砲を搭載した型もありました。制式名はないですが。しかし、オープントップな車両なので、発射の際は搭乗歩兵は無論の事、車長も操縦手も全員車外に出る必要があったのが欠点といえば欠点でしょうか? |