ティーガー2「6号B型戦車」(SdKfz 182)
全長:        10.3m
車体長:       7.25m
全幅:        3.76m
全高:        3.08m
重量:          68t
装甲:     前面:150mm
        側面:100mm
        後ろ: 80mm
乗員数:        5名
武装:71口径88mm砲×1
    (84発搭載)
    7.92mm機関銃×2
    (5850発搭載)
動力:マイバッハ
    694馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:35km/h
       航続距離:170km
総生産台数:489両
 1941年6月。ドイツは突如として、ソビエトに侵攻した。快進撃だったものの、作戦方向の混乱と補給線が延びきった事、またソビエト軍の反撃によって、モスクワ陥落は果たせなかった。1942年になると、ドイツ軍は再度攻勢をかけた。今度は南方のコーカサス地方で、ここの油田制圧が目的だった。しかしソビエト軍はスターリングラードでドイツの大軍を包囲し、コーカサス地方に攻め入っていたドイツ軍を牽制。コーカサス地方攻略を断念せざるを得なくなっていた。
 そんな中の1943年1月にティーガー2重戦車の開発指示が出された。ヒトラー総統の直々の要求とされるが、実際には不明。しかし、ソビエト軍の戦車もドンドンと装甲が厚くなり、大砲が強力になっていくのだから、作られるべくして作られたというべきだろうか?。
 ティーガー1重戦車の設計の際に検討された71口径88mm砲の搭載をこの後継戦車は搭載した。ティーガー1重戦車の際には反動が強すぎるとして搭載が見送られた経緯があるが、ティーガー2重戦車にはこの71口径88mm砲の搭載は絶対条件だった。ただ、当初は105mm砲とか150mm砲搭載も考えられていたらしい。装甲もティーガー1重戦車よりもより厚く強力な装甲が求められた。鉄板を厚くすれば済むけども、捕獲していたT-34戦車は傾斜装甲を採用し、より被弾性に優れていた。ティーガー2重戦車はそこも参考にして傾斜を与えてより効果的な防御力を得た。同じくT-34戦車を参考にしたパンター戦車と良く似ている所以はここにある。たしかにティーガー2重戦車はパンター戦車を大きくしたような形状になっている。ここで間違えてほしくないのは、形状は違っても、開発目的はあくまでもティーガー1重戦車の後継としてだった。実際、1944年から配備されだすけども、その大半はティーガー1重戦車の後継として機甲師団の重戦車大隊に配属されていた。
↑場所不明。ニュース映画撮影用?
 ただ、完成してみると、重量はティーガー1重戦車よりも10t以上重くなってしまった。なのにエンジンは694馬力のまま。これでは軽快な機動性など確保される筈もなかった。最高速度は資料によってまちまちだけど、38km/hという資料も多い。これはティーガー1重戦車と同じだけど、駆動系(トランスミッションなど)に新規軸を導入したのかもしれない。重量を考えれば35km/hも速度を出せるようにした、ドイツ戦車開発技術陣は立派といえる。
 あと、ティーガー1重戦車と同じ問題も抱えていた。幅が広いので鉄道輸送ができない点だった。ティーガー1重戦車はわざわざキャタピラを交換してでも、幅を狭くして鉄道に乗せていたが、ティーガー2重戦車はどのようにして鉄道輸送していたのかは不明。言うまでもなく、兵器とは戦場までもっていかないと意味がない。これは重大な欠点と思えるのだが、残念ながらというべきか時間が進むにつれその問題は解決していた。話は少し進んで、ティーガー2重戦車は東部戦線(対ソビエト)には1944年5月から、西部戦線には1944年8月から実戦投入されているけども、その頃になると、東部戦線では1944年6月22日にソビエト軍は「パクラチオン作戦」を開始。この日は憎っくきドイツ軍がソビエト軍に襲い掛かった日であり、まさにソビエト版「バルバロッサ作戦」だった。この電撃戦でドイツ軍は一気にソビエト占領地区を失ったどころかポーランドのワルシャワ近郊まで攻め入られた。もはや鉄道輸送しなくとも、辛うじて自力で戦場まで行けるようにはなっていた。西部戦線では8月頃はパリがドイツ軍の手から離れていた頃で、それ以前から連合軍の爆撃によって鉄道網は徹底的に破壊されていた。もはや鉄道による戦車の輸送は物理的に不可能となっていた。話は戻して、こういった理由があるから、鉄道輸送に関する問題が表面化しなかったと思うのだがどうだろうか?。
 あとの欠点は、当然といえば当然だろうけども、重量が68tとまさに「重戦車」の名に恥じぬ重さだったから、足回りが壊れやすいという欠点もあった。現在でもこんなに重い戦車はない。また、トランスミッションも壊れやすかったとされる。また、戦車サイズも相当デカかった。背も高い。どうしても敵のJS-3などと比較すると、まとまってない感じがするけども(大砲が小さく見えるように思えるのは俺だけではあるまい)コンパクトな大出力エンジンが開発できず、必然的に車体高さが決まってくるので、やむを得ないという声もあるが、その通りだろう。
ティーガー2重戦車の最大の欠点は生産効率が悪く価格も破格だったということで、ただでさえ混乱していたドイツ戦車生産に追い討ちをかけたのは紛れも無い事実だった。総生産数も489両(異説あり)と米ソ英連合軍と対峙するにはあまりにも数が少なかった。ただ、連合軍の猛爆撃の最中で、またスペインからの鉄鉱石供給が無くなった頃での489両の生産は相当な数ではなかろうかと思える。
↑場所不明。ちなみに上2つと同じ場所での撮影。
関係ないが、戦争末期によく集まったなぁと感心してしまう。
 また、内部の敵も2つあった。1つは戦車兵練度の低下で、ラインの守り作戦(バルジ作戦)では37mm砲搭載のアメリカ軍装甲車が30mの近距離でティーガー2重戦車を後ろに回って撃破したことが記録されている。「戦車は後ろは弱いんだなぁ」という問題ではなく、そんな近距離に接近を許した事が問題だった。ようは戦車長の周辺警戒がなっていなかったのである。昔ならばそんなことはないだろう。一番の問題は燃料で、当時のドイツでは油田供給地帯ルーマニアが枢軸国を離脱し逆にドイツに宣戦布告をしていた。あとはハンガリーの油田地帯に頼っていたものの、需要を賄うにはほど遠かった。ラインの守り作戦では進めるだけ進んだティーガー2重戦車も燃料切れで泣く泣く放棄された車両も少なくなかった。だいいち、燃費はリッター162mと恐ろしく悪く、燃料補給は絶対条件だけども、その燃料がなかったのである。動けなくなった戦車はただの装甲板付き固定砲にすぎないのである。
 しかし、一旦戦場に出たティーガー2重戦車は西部戦線ではまさに無敵だった。当時の西部戦線の連合軍主力戦車はM4シャーマンで、17ポンド砲を搭載したシャーマン・ファイアフライがなんとかティーガー2重戦車を近距離で撃破ができた程度で、アメリカ軍のM4A3シャーマンでは正面からの戦いでは勝利はほぼ不可能だった。不幸といえば、上で書いたように数があまりにも少なかった事で、1両で10両ものシャーマンを相手にする戦闘では1両が囮になって他が側面に回りこんで撃ちぬいたりされた事もあった。あとは、制空権が完全に敵に渡っていた事で、どんな重戦車も航空攻撃には弱かった。連合軍の記録写真には、撃破されたティーガー2重戦車がいくつか見受けられるが、これは燃料切れで遺棄された車両が連合軍戦車隊に発見され、無人とは知らず攻撃したのが大半だとも言われている。
 東部戦線と西部戦線で火消し役として活躍。ベルリン攻防戦でも、敵のJS-2戦車などと互角以上に渡り合ったものの高威力のティーガー2重戦車をもってしてもドイツ帝都を守りきる事はできなかった。ただ、その威力は連合軍の度肝を抜いたのもまた事実で、ドイツ戦車といえばこのティーガー2重戦車を思い出す人も多いだろうし、第2次世界大戦での最強の戦車は?と聞かれたらこのティーガー2重戦車と答える人も多数だろう。また、別名「キングタイガー」とも呼ばれており、内外での評価の高さを伺わせる。


 ティーガー2重戦車のバリエーション

↑掲載場所的にややこしいが
ポルシェ型砲塔ではなく、ヘンシェル砲塔型
 ポルシェ砲塔型ティーガー2重戦車:
 ティーガー2重戦車は当初はポルシェ社の砲塔搭載を計画していた。後にヘンシェル社の砲塔に変えられた。理由は2つで、まず、砲塔前部が丸みを帯びていていかにも、被弾性がよさそうに見えるけど、射撃試験では、半分から下に命中した場合、そのまま車体の上に直撃して貫通してしまった。また、曲面加工は生産性が悪かった。鋳造でもない限りはいちいち鉄板を曲げる工程が必要だからで、以上の2つ点をもってポルシェ社砲塔搭載は見送られた。ただし、50両分は生産に入っていて、キャンセルするほどのゆとりが当時のドイツにある筈もなく、50両分はそのまま生産は続行されて完成し戦場に送られた。ポルシェ型には伸縮可能なシュノーケルが搭載されていた。これは68tの重戦車が渡れる橋が限られるからだけども、極初期型にしか見られない。もはや渡河自体が行われる状況ではなくなっていたからかもしれない。細かい点をいえば、試作型は照準装置が双眼式だったのが、本生産に入ると単眼式となった。

 ヘンシェル砲塔型ティーガー2重戦車:
 ポルシェ型砲塔では上で書いたように被弾にやや弱い点があったので、正面を直線の装甲にしている。車体と砲塔の隙間もなくなり、ショットストラップの欠点も無くなった。外見上の大きな違いはこの砲塔だけども、細かい点を言えば、装填手用ハッチがポルシェ砲塔と若干異なっており、ペンチレーターも若干異なっている(ヘンシェル砲塔は車体上にベタ砲塔がくっつくのでベンチレーターがそのままの形状では干渉してしまうので、削ってあったり小さくなっていたりする)。ただし、砲塔前部の違いでヘンシェル型とポルシェ型は区別できるので、些細な点かもしれない。
 また、両者とも、マズルブレーキはティーガー1重戦車と同じものを使っていた。


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