1式中戦車
全長:        5.73m
車体長:       5.73m
全幅:        2.33m
全高:        2.38m
重量:  17.3t(全備重量)
装甲:
 車体・砲塔前面  50mm
 上記以外の装甲  8〜20mm
乗員数:5名
武装:47口径47mm砲×1
       121発搭載
    7.7mm機関銃×2
       4220発搭載
動力:100式統制型
    240馬力ディーゼル
    V型12気筒空冷
走行性能:最大速度:44km/h
       航続距離:210km
総生産台数:170両
    (587両とする説もある)
 1式中戦車は97式中戦車の後継車両として昭和15年に試作命令が出された。開発を行ったのは三菱重工で昭和17年8月に(9月とする資料もある)試作車両が完成した。エンジンは新しく開発されたもので、ボアとストロークを共通にしたいわゆる統制型エンジンで、いくつかの気筒のタイプがあるけど、最大の12気筒を搭載したのが100式だった。このエンジンは240馬力をたたき出し、97式中戦車のエンジンの1.4倍だった。重量が97式中戦車と比較しても1.15倍しかなかったので、大変軽快に走ったという。重量増加はさほどなかったものの、前面装甲は50mmと97式中戦車の倍もあった。装甲配分を上手くした結果と言える。昭和18年6月に「1式中戦車として採用されたのだけど、なぜ「1式」で昭和16年(紀元節2601年)が絡んでこないのかは不明。採用年度をとって3式中戦車とすべきだろうけど、後に同じ名前の戦車が採用されているから混乱を避けるためだったのかもしれない。にしても試作車両の完成をとって2式中戦車にすべきじゃないのかなぁと思うけども、くどいけど理由は不明。
 ともあれ、早速量産してしかるべきだったものの、本格的な生産は昭和19年に入ってからで、その生産数も昭和18年に15両、昭和19年に155両と(両年合わせて587両とする説もある)、大量生産どころではなかった。なお昭和19年末からは3式中戦車の生産に入っているので、そこから生産はされなくなっている。配備先も大半が本土で少数がフィリピンに送られたという。ただし、全て日本本土に配備されていたとする資料もある。それもそのはずでフィリピン戦に関しての1式中戦車の戦闘資料がないからである。ともあれ、47mm砲でM4シャーマンに対抗できたとはとても思われないから、どのような運命をたどったかは容易に想像ができる。
 本土に配備された1式中戦車は本土決戦に備えて戦闘配備されてたのは無論だけど、当時は75mm砲搭載の3式中戦車が配備されていた事もあって、1式中戦車は補助任務に回る予定だったと言われている。しかし、実際に1式中戦車を受領した部隊の兵士の話では、夜陰にまぎれて、エンジン音を絞って低速で、あるいはエンジンを止めてホイールを人力で回してカタツムリの速度のような低速でM4シャーマンの側面400mまで近づいて発砲する訓練を行っていたという。まさにノミシンものだけど、悲しいかな、そうでもしないとM4シャーマンを撃破できなかったのはすでに戦訓から承知だったのである。幸いにも本土決戦は避けられ、1式中戦車は殆どが解体処分あるいは海没処分となった。


 1式中戦車は形状的には97式中戦車改とそう変わらないものの(車体が若干長くなっている)、決定的に違ったのが、溶接で車体を製作していた事にある。ただし、砲塔は97式中戦車改のままなのでボルト止めだった。また、日本陸軍戦車の特徴あるハチマキ型アンテナではなく、普通のアンテナになっている。特に溶接構造車体はスマートで、見かけ以上の防御力はあった。試験では15センチ榴弾砲の至近弾を受けた際は97式中戦車はバラバラになったものの、1式中戦車はなんとか持ちこたえたという。しかし、量産が開始された時にはすでに世界水準に大きく劣っていたという事実には違いはない。


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