60式106mm自走無反動砲
全長:        4.30m
車体長:       ?.??m
全幅:        2.23m
全高:        1.38m
重量:         8.0t
装甲:      6〜14mm
乗員数:        3名

左写真はいちのへさんから提供していただきました。
どもありがとさんです
≦(_ _)≧
武装:26口径
     106mm無反動砲×2
    (10発搭載)
動力:SA4D105型
    150馬力ディーゼル
    4サイクル水冷
走行性能:最高速度55km/h
行動距離:???km
総生産台数:???
 1916年9月15日。西部戦線ソンム。この戦いでイギリス軍はマークT戦車を戦場に投入した。対峙していたドイツ軍は機関銃の猛射を浴びせても全て弾き返すこの鉄の物体にパニックに陥った。何キロか戦場に穴があきそこから戦車が突進する・・・とはいかなかった。当時の戦車は故障が多かったからである。またドイツ軍側もこの鉄の物体は速度がトロく砲撃に弱いという欠点を知った。しかし全ての戦線に大砲が配備されているわけでもなく、兵士たちは戦車に遭遇した場合はなすすべもなかった。そこで開発されたのが対戦車ライフルで当時のは「威力を増したライフル」に過ぎなかったものの、当時の戦車は装甲が薄かったのでそれでもそれなりに役だった。結局対戦車ライフルと戦車の装甲はイタチごっこをしていったものの、第2次世界大戦初期にはすでに対戦車ライフルは時代に取り残されていた。この頃になってくると戦車の装甲は50mmが常識になり、もはやライフル弾の運動エネルギーで装甲を貫くなど不可能になってしまったからである。結果的に歩兵は手榴弾を束ねて戦車に投げつけるか火炎ビンを投げつけるしかなかった。しかしこれらの方法は確実性がない上にこの行為を行う自体決死的な行為だった。そこで登場したのがパンツァーファウストやバズーカなどの熱エネルギーで戦車の装甲を貫くといったもので、これはとても効果があったものの、歩兵にとって対戦車攻撃が決死的な行為である事に違いはなかった。ようは戦車に対抗する地上戦力は戦車が一番なのであった。
 軽い車両に対戦車兵器を!というコンセプトのもとか知らないけども60式自走無反動砲は誕生した。この頃(昭和35年前後)は日本の自衛隊ではいろいろな国産兵器が制式化されていて、これもその1つ。
 車両には105mm無反動砲が2門ついている。2門つけているのは後述するけど再装填に時間がかかるため少しでも短縮したいのが理由。まぁアメリカのオンドスは6門も積んでいるからそれに比べればおとなしいといる。
 無反動砲というのは名前のように反動が来ない大砲で、普通の大砲は反動がすごい。ごく初期の大砲は黒色火薬を使用していたので、さほどでもなかったものの、無煙火薬の発明で威力と射程が増し、それに比例して反動も大きくなった。この頃の大砲も車輪がついていたけども、反動でガラガラ後ろに戻っていた。それを解決したのが駐退器でようは砲身の上か下か横に油か空気入りのシリンダーをつけておいて砲身と連動させて、大砲を撃ったときに砲身を下げてその衝撃をシリンダーで吸収するもので、これは今でも使われている。これで砲自体は動かないからちょこっとずつズラして正確な砲撃が可能になり、また発射速度も上がった。しかし大口径にするほど駐退器はデカくなるのは当然の理でそれだけ強度を増せばいいという問題でもなかった。戦車に対抗する上で大口径砲は必需であったが、歩兵兵器としてだとおのずと限界があった。「反動がない大砲があったら・・・」と考えるのは当然だと言えた。
 無反動砲の開発は結構早く、第1次世界大戦前には実用化していた。原理は単純なもので、ようはニュートンの作用反作用の法則を利用しているのである。かいつまんでいえば、大砲は発射と同じ衝撃が反対にくるのだけど、その反対側を閉鎖器ではなく同じ大砲を発射すれば砲に反動がなくなってしまう。単純明快な無反動砲だけど無論これでは使えない。味方が迷惑するからである。そこで、後ろに飛ばす砲弾は油脂製で発射時にバラバラになってしまうのが作られた。この原理の無反動砲はそこそこ使われたものの、それでも不便だった。結果的には大量の煙を後方に排出する事で、反動を逃がす方式が採用される事になった。この方式の無反動砲を60式106mm自走無反動砲は2門搭載している。
 発射時に大量の煙が出るので、射撃したらすぐに移動させる必要がある。そのため無反動砲の自走化は非常に効率的だった。また、普通課(歩兵)に大きな対戦車戦力を持たせた意義は大きかった。
 ただ、戦後まもなくしてATM(対戦車ミサイル)の発達によってこの車両の戦術的意義は薄れたのは不幸だったといえる。
↑防衛庁通達より

 余談ながら、制式名は上で書いているように60式自走106mm無反動砲だけども、実際には105mmの大砲がついている。なぜ106mmなのかというと、これにはちっとばっかし説明がいる。この105mm砲の原形は第二次大戦中に開発されたアメリカのM18無反動砲で、薬莢に小孔がたくさん空いていて薬室(大砲で砲弾が入る場所)と薬莢の間に隙間をあけて、発射の際にここに発射ガスを溜めて後ろに放出させて反動を相殺(そうさい)する方法を採用していて、俗にクロムスキット方式と呼ばれている。この方式の無反動砲は一応の成功を納め、朝鮮戦争でも改良型のM27 105mm無反動砲が使われた。ただし、評判はあまりいいものではなかった。設計上の不備といわれている。実際のところは弾に問題があったのではなかと思える。M27までの無反動砲は砲弾に既製導子という銅でできたベルトのようなものが砲弾の後ろのほうについていた。ようは銅製の箍(たが)がついていた。これでガスシールして少しでも初速を増そうといういとなのかもしれないが、これが異常高圧なんかをきたしたのではなかろうか?。実際、60式106mm無反動砲弾にはこの銅のたがはついていない。使う砲弾が異なるのだから同じ105mm無反動砲では都合がわるく、意図的に106mmにしたのだろう。ちなみに、原産国アメリカでは106mm無反動砲M40と呼ばれている。やはり、改良前と改良後の名称で口径を同じに書いとくと管理上マズいのだろう。実際、使用砲弾が異なって意図的に口径寸法を変更して制式化している例はいくつかある(イギリス戦車のコメットの戦車砲など)。
(以上の、「なぜ105mm口径なのに106mm砲と呼ばれているのか?」の疑問は俺にはさっぱりわからなかったのですが、メールで指摘をいただきました。矢乃崎さん、ほんとありがとうございます≦(_ _)≧)
 さらに余談ながら、60式自走無反動砲は名前のように昭和35年(1960年)9月7日に制式となったけども、これは実際には仮制式で、本当に制式化されたのは昭和50年1月8日だった。

 60式自走無反動砲は105mm無反動砲を搭載しているけども、105mm無反動砲自体は日本開発の大砲ではない。アメリカで開発された。射撃はただ狙って撃つのではなく、スポットライフルという12.7mmのライフルで射撃して命中を確認したら105mm砲を撃つようになっている。外れたらまた微調整して、スポットライフルで射撃して命中したら即射撃を行うようになっている。60式自走無反動砲は10発しか弾を搭載していないが、上記の理由でスポットライフルの弾は40発用意してある。スポットライフル自体はセミオートライフルで10発弾倉を搭載している。つまり60式自走無反動砲はこの弾倉を4つ搭載している事になる。12.7mmの鉄砲ということでM2重機関銃と同一なイメージを受けるが使用弾薬は異なる。M2重機関銃は12.7mm×99弾を用いる。つまり薬莢の長さが99mmなわけだが、スポットライフルは77mmしかない。M2重機関銃の弾のままでは弾頭が合わないからだろし、曳光剤(白煙をあげるための)もめいいっぱい積めこむ必要があるため、必然的に弾頭が軽くなるのでそのせいもあるだろう。
 105mm砲はHEAT弾を用意してある。実際には榴弾もあるのかもしれないがよくわからない。なお36条のライフリングが切ってあり、20口径で1回転している。初速は500m/sとなっている。最大射程はよくわからないものの、スポットライフルの精度なんか考えれば1.5km程度だと推定される。対戦車兵器としてはそれで充分だろう。問題なのは搭載弾薬数が10発しかないことで、恐らく弾薬車が同行していたと考えられるけども、実際のところはよく分からない。発射は砲手が行うけども、砲手は車長も兼ねている。あと装填手と操縦手の3名で運行する。戦車の場合は砲手と戦車長が別だけども、戦車的な運用はしないからそれでいいのだろう。
 その他の武器携行にはM3A1グリースガンが2丁配備されている。30発弾倉を24個携帯している。
 60式自走無反動砲は当初は排気量が8800ccの120馬力のエンジンだったけども昭和50年までには3983ccの150馬力エンジンに換えられた。技術の進歩を思わせるものの、今考えれば自動車にも及ばない。民生技術の進歩もまたすごいと言う事だろうか?


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