61式戦車
全長:        8.19m
車体長:       6.03m
全幅:        2.95m
全高:        3.16m
  (銃塔を除く全高は 2.49m)
重量:         35t
装甲:         ???
乗員数:       4名

武装:52口径90mm砲×1
    (50発搭載)
     12.7mm機関銃×1
    (500発搭載)
     7.62mm機関銃×1
    (4000発搭載)
動力:570馬力ディーゼル
    空冷
走行性能:最大速度:45km/h
総生産台数:560両
 1951年(昭和26年)にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、やっと敗戦国日本もいっぱしの国家として認められる事となった。前年に発足した警察予備隊(後の自衛隊)の装備はアメリカ軍の装備とほぼ同一だった。1950年代はそれで通したけども、1つの国家としてはやはり国産の装備を配備したい一面もあったろう。この年代にいくつかの兵器が試作されつつあり、1960年(昭和35年)に日米安保条約が結ばれると、それが加速していったとも言える。60年初めはいくつかの国産兵器が制定された。61式戦車もその1つだった。
 61式戦車は試作名称は「STA」でSTA-1からSTA-4まで試作された。ちなみにSTAという意味は、新型特車A(Shingata Tokusya A)という意味がある。そのまんまですな(^-^;)。ちなみに、特車というのは戦車の意味で、「戦」という言葉を陸上自衛隊が嫌ったからだといわれている。制式名が「戦車」なのであまり意味がないように思えるが、たしかに、三菱重工のホームページの90式戦車紹介欄にも「特車」とかかれている。もしかしたら、自衛隊の方ではなく、三菱重工側が便宜上つけた可能性もある。あと、最後のAというのは通し番号で、74式戦車の時はSTB、90式戦車の時はSTCという名称がつけられた。
(STAの意味の情報は、通りすがりさんから教えていただきました。本当にありがとうございます≦(_ _)≧)
 採用されたのはSTA-2と呼ばれるもので、これはアメリカ軍のM47戦車をベースにして開発されたものだった。採用は名前のように1961年(昭和36年)4月26日で、それから量産が始まり1976年(昭和51年)までに560両が作られた。
 ただ、この戦車の試作時点(1950年代後半)では90mm砲は世界スタンダートだったけども、日本の仮想敵国であるソビエトはほぼ同時期に115mm滑腔砲搭載のT-62を完成させていた。61式戦車の主砲ではT-62の正面装甲を撃ちぬけないので現場では「地面を狙って跳弾でT-62の底面を狙え」と教えられていたらしい。できるかっちゅ〜ねん!(笑)。ただこれを忠実に守った人がいて、訓練で標的の下を狙って射撃場を壊してしまった人もいたらしい(笑)(徹甲弾は決められた場所でしか撃てない)。
 ともあれ、実戦で使われる事はなく、昭和49年には74式戦車が完成したのでそちらに主力は移っていったもののしばらくは現役にあった。90式戦車が制定されると少しずつ退役しつつあるものの、まだ何両かは現役にある。今年(平成12年)の富士総合火力演習ではちゃんと出ていたものの、今年限りだという事で、ようは21世紀を見ることなく消えていく運命にある。
 実戦には1度も使われていないけども、日本の怪獣映画ではよく出てくる。大抵が踏み潰される役で、「61式戦車は弱い」というイメージを定着させたといえる。その意味では日本戦車でもっとも不幸な戦車だったといえなくはない。


 61式戦車は上で書いたようにアメリカのM47戦車を元に開発されているので、パットンシリーズとあまり外見上で差はない。ただ、元のM47と比べて砲塔位置がやや後方に下がっている。車体前面上の傾斜している部分に被弾して砲弾が滑った場合に砲塔に当たらないのでこの意味ではいい改良だとも思えなくはない。また、砲身の前に、砲口制退器がついているけども、ちょうど煙突みたいな形をしている。これは砲撃の際に照準部分(砲身の上)が爆煙で見えなくなるのを防ぐために横に爆煙をそらせるようにしている装置である。ただし、エバキュレーターが発達した今では見かけなくなった。
 使用用途は「普通科(歩兵)の支援その他」と防衛庁通達にバッチリと書かれてある。ドイツの装甲師団の運用を考えれば、大戦初期のフランス・イギリスの戦車運用を考えれば戦車としてそれは不適当だとわかりそうなものだが、「丘陵が多い日本では戦車は不要」と本気で討議されていた頃なのでしかたがないところか?ちなみに、昭和41年と昭和62年に改訂版として通達がだされているけども、「普通科の支援その他」の用途は削除ないし変更される事はなかった。まぁ、昭和62年だともはや戦車として使えないのは目に見えていたからそういう使い道しかなかったのかもしれない。
 搭載していた大砲は61式90mm戦車砲で52口径の90mm砲。一応はアメリカのコピー品ではあるが、一応は日本で作られている。ちなみに74式戦車・90式戦車ともに大砲は外国製を使っている。そのため、61式戦車の大砲には「61式90mm戦車砲」という制式名があるものの、74式戦車の105mm砲や90式戦車の120mm滑腔砲には制式名はない。仰角は13°まで上げられ、俯角は10°まで下げる事ができる。ただし、真後ろを向いた場合は車体に当たるため俯角は3°しかとれなくなる。この大砲から発射される砲弾の初速は徹甲弾で910m/s、榴弾で830m/sとなっている。榴弾使用時に最大仰角(13°)で発射すると11060m飛ばせる。たしかに歩兵の支援には使えるかもしれない。「戦車砲で後ろから支援する」というのはあまりいい言葉ではないけど。発射時の砲身内気圧は最大3100気圧まで上がる。NATO弾(銃弾)が3600気圧まで上がるのを考えればさほどすごいという印象は受けない。まぁ人間にとっては凄いに違いはないが。
 同軸機関銃は7.62mmの機関銃でアメリカのM1919A4という機関銃。名前のように1919年に制式採用がなされた(A4なので4度改修が行われた)機関銃。古めかしいが、この時点で機関銃のメカニズムは完成の域に達していたという証ともいえる。砲塔の上にある銃塔についているのは12.7mm機関銃。俗にいうブローニングM2重機関銃で、こちらは1935年制式採用の鉄砲だけども、これは21世紀になった今でも使われている。クラシックな銃器というよりも、いいものは世紀を超えても使われていくのだろう。
 固定武装ではないけども、車内には自衛用ないし、車両放棄した際の乗員武装用にM3A1グリースガン1丁とライフル1丁が備えられている。グリースガン用銃弾は150発が標準で積載されていてちょうど30発弾倉5つ分となる。ライフル用銃弾は90発搭載されている・・・とある。分からないのはこの当時の制式ライフルはM1ガーランドライフルだけども、このライフルは8発装填なので、90発という数字とは矛盾がある。後に64式小銃に変わったものの、64式小銃は20発弾倉なのでこれも矛盾する。実際のところはよくわからない。あと、信号弾ないしライフル擲弾を4発搭載でき、手榴弾は8発搭載可能とある。ちょうど乗員に2こづつとなるが、口の悪い人は「1個は敵に投げつけてもう1個は自決用」と言ったりもする。


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