![]() |
全長: 9.80m 車体長: 6.70m 全幅: 3.40m 全高: 2.30m 重量: 50t 装甲: ??? 乗員数: 3名 左の写真はkensukeさんからいただきました。ありがとです≦(_ _)≧ 著作権はkensukeさんにあるのでここからの転載禁止です |
武装:44口径 120mm滑空砲×1 12.7mm機関銃×1 7.62mm機関銃×1 動力:三菱ZG 1500馬力ディーゼル 水冷2サイクル10気筒 走行性能:最大速度:70km/h 総生産台数:現在も生産中 |
||||||
太平洋戦争期の日本製兵器において諸外国と比べて劣ったものの1つに戦車がある。諸外国と比べて工業力が劣ったという普遍的な欠点から数が揃えられなかったという根本的な欠点があったから戦闘において劣勢を強いられたから戦果が少なくそれがゆえに兵器性能が低く見積もられたということもあるだろう。ただ、兵器単体においては諸外国と決定的な差がなかった。 歩兵の根幹兵器であるライフルに関しては、交戦国アメリカと比べたら自動ライフルとボルトアクションライフルという大きな差があったが、自動ライフルを本格的に装備した(できた)国はアメリカだけだったのでそれをもって「劣る」とは言えないだろう。機関銃に関しては生産数が少ない上に供給できた弾薬も諸外国と比べて100分の1以下な点を除いて純粋に性能面を見たら諸外国と遜色はなく、逆に命中精度の点では高い評価を得ている 航空機に関しては防御装甲面で劣る点や速度が劣るが指摘されている。たしかに戦争後半になると日本軍機の被撃墜数が増えているが、これは未熟な搭乗員による操縦のためという理由が大きく、実際にはさほどの差はなかった。 艦船に関していえば日本の軍艦は諸外国と同等かそれ以上だったといえるだろう。ただ、魚雷1本で沈んだ空母大鳳のように、ダメージコントロールの面ではアメリカが上だったとは言えるが、ともあれ日本艦船は世界に誇れたといえるだろう。 戦車はといえば誰もが認めるように性能は悪かった。中国戦線ではほとんど敵戦車が出現せず、また太平洋戦線の島嶼線においては戦車はあまり役には立たなかったとされるが、相手が戦車を投入してきている以上戦車は絶対に必要だったといえる。生産数が絶対的に少なかった上に輸送途上でアメリカ潜水艦にやられる有様だったがそれを考えなくても、純粋に性能面で見ても日本戦車は相手の軽戦車にすらかなわなかったし、歩兵相手でもバズーカ砲で散々にやられた。これにはちゃんとした事情がある。日本は戦車揚陸艦がなかったので輸送船で運ぶしかないが、輸送船のクレーン能力の問題で15t以上の戦車は積み込めなかった。また、日本国内を輸送するにも当時の鉄道の軌道幅の関係上戦車の幅が2.3m以内が輸送に支障ない幅員とされた。つまりは小さく軽くしないと戦場まで送れないという道理だった。たしかに理は適っているが最前線で戦う兵士にとっては悲劇の道理であった。 負けた側には負けたなりの理由がある・・・。 戦後になって日本の兵器体系はアメリカに順ずるようになり、戦車もしかりだった。ただ、陸上兵器は航空兵器や艦船と違って各国での運用の違いが大きい。たとえば隣接国が友好国か弱小国だったアメリカと隣が敵国だった西ドイツ(当時)では国内事情が違うというのは当然だが、両国が共同開発で戦車を開発しようとしたことがあった。MBT70と呼ばれたがやはり国の事情が違う両国では試作車両が完成しても自国の理に適った装備を施そうとするのは当然だった。結局両国とも妥協せず計画倒れで終わった。試作車両が予定の何倍の価格もしたというのも理由だろうが、やはり自国の護りは自国の兵器でという意地もあったのだろう。 日本でもやはりアメリカの兵器に頼るとイザ戦争になった時に補給部品の関係もあって不安もあったろうし、やはり国産しないとその兵器開発力が廃れるという懸念もあったろう。昭和36年(1961年)にはアメリカのM48戦車をベースにしたとはいえ戦後初の国産戦車を就役させた。ただ、この時期になるとソビエトでは115mm砲を搭載したT-62戦車の生産を開始し、欧米でも105mm砲搭載の戦車を開発して完成させていた。同年に西ドイツでは105mm砲搭載のレオパルト1戦車の試作車両が完成し、翌1962年にはアメリカで105mm砲搭載のM60戦車の大量生産が開始している。日本はまた戦車性能面で1歩遅れをとった。 昭和49年(1974年)に105mm砲搭載の74式戦車を制式化した。欧米諸国がどうこうというよりもとにかくソビエト戦車と戦えないと日本に配備する戦車としての意味がない。74式戦車は他国の戦車に範にとったものがない戦後初の日本独自の戦車だったといえる。性能面でも当時の諸外国と遜色はなく、T-62戦車とも互角以上で戦えるとされた。ただ、ソビエトでは125mm砲搭載のT-72戦車を同じ年に大量生産を開始していた。ちなみに西側諸国はイギリスを除いて多くの国が105mm砲搭載であったから性能面で1歩遅れたとは言えないし、レバノンの戦いでイスラエルのM60戦車がシリアのT-72戦車を多数撃破している事実から性能面では大差はなかったと言えるが詳しい性能が分からない日本では350mmの装甲があると当時言われたT-72戦車は74式戦車をもっても脅威とされた。上で書いたように当時の日本ではソビエトと戦うことしか考えていなかったからそういう面ではまた1歩遅れたと考えられた。
積年の進歩として、コンピューターなどの技術はレオパルド2と比較しても飛躍的に向上している。レーザー測定器・環境センサー・熱線映像装置・レーザー検知器・FCS(火力統制器)どれをとっても世界最高水準でハイテク軍隊アメリカと対等だといえる。 主砲は44口径120mm滑腔砲を採用している。これは西ドイツのレオパルト2、アメリカのM1A1エイブラムズの実績があるため手堅い装備ともいえた。120mm滑腔砲自体はドイツのラインメタル社製の物が使われている。試作の時点では日本製鋼所に同じものを作らせて、本家ラインメタル社製のと射撃実験が行われた。結果は日本製鋼所製のほうが僅かに上だったが、コスト面では遥かに日本製鋼所製が高く、量産してもラインメタルが提示した金額以下には到底なりえないと考えられた。そのために結局はラインメタル社製のをライセンス生産という形をとるようになった。44口径120mm滑腔砲は当時では世界最強であったが、今ではドイツのレオパルト2A6やフランスのルクレールなどは50口径以上の砲を採用しているために攻撃力はこれらより劣るとさせる。ただ日本は起伏が多い地形なので55口径の120mm砲を搭載するとつっかえてしまうというのが懸念されており44口径がちょうどいいという意見もある。
この自動装填装置は初期の頃は不良装填率が2割弱とかなり不良率が高かったとされる。これは精度不良というよりも少しの埃でもセンサーが作動して装填できないようにという過大な安全装置が働いたらとされ、自動装填装置の不良ではなかったとされる。今では5%以下になったという。ちなみに自動で押し込めない時は戦車長が手で押し込める。 自動装填装置のありなしが戦場で影響するかは実際、湾岸戦争で確かめられた。手動装填式のM1A1エイブラムズと自動装填式のT-72戦車が撃ち合ったけども、いくら士気・練度の違いがひどかったとはいえT-72は一方的に負けている。自動だから有利とは言いきれない面もある。ただ、120mm砲弾はかなり重く、狭い車内での装填を考えれば自動装填式がいいかなぁとも思える。また、90式戦車に限らず西側諸国の120mm滑空砲の砲弾は半燃焼式でようは薬莢がなく、大半が燃え尽きる(弾の底部のみ残る)ケースレス式薬莢のため、これを車外に放出する手間はずいぶん楽になった。これが自動装填装置搭載を容易にしたといえる。 自動装填装置がある最大の欠点は乗員が減るがためにたとえばキャタピラ交換の際に1人1人の手間が増える点が欠点だと指摘されている。たしかに砲弾・燃料補給や陣地構築などは戦車乗員が行わないといけないのだからその人手が足りないのは大きな痛手だとも言える。
エンジンは強力な1500馬力で排気量あたりの馬力は世界でもトップクラスにある。上でも書いているけど高性能ターボのおかげといえる。余談ながらディーゼルエンジンはターボと相性がいいディーゼルエンジンはガソリンエンジンと比較して高回転に弱い上に出力が低いという欠点がある。そのためのターボとなるわけだが、ディーゼルエンジンはそのエンジンの性質上、ノッキングが発生しないので、バンバン空気を過給できる。ガソリンエンジンでは空気を過給しまくると、ノッキング(スパークプラグの発火以外による発火現象。空気が高圧になると温度が上昇して自然発火する)が起こるけども、ディーゼルエンジンはそれが発生しない。逆にみればディーゼルエンジンはノッキングで作動しているようなものだからドンドン空気を過給しても構わない。しかしエンジンの強度の問題もあるので、圧力にはおのずと限界はあるけども。さらに余談ながら、ターボ開発は三菱重工はお手のもので、たとえば国産自動車にターボが装備されだした当時、国産品を装備していたのは三菱自動車だけだった。 装甲は複合装甲を採用しており、今の90式戦車でも機密保持のためか全面装甲にはキャンバスが張られており装甲をうかがい知ることはできない。一説にはイギリスからチョバムアーマーの売り込みがきたというが日本側は自国での装甲に自信があったために断ったという話がある。 90式戦車は平成2年(1990年)当時の調達価格は1両約10億円だった。今では1両あたり約8億円となっている。アメリカのM1A1エイブラムズを比較すると詳しい資料がないが1990年頃で1両約430万ドル。今のM1A2エイブラムズでは1両約750万ドルほどとされる。日本の量産効果がでてきた成果か諸外国とそう差はなくなった。逆をいえば諸外国ではいろいろなパーツが追加され改良されつつあるのに日本では外見面ではほとんど改良されていないからだとも言えるのではないか。また、1990年当時の為替レート(1ドル約150円前後で推移)と今2006年の為替レート(1ドル115円前後で推移)が違うという点も考慮する必要があるだろう。アメリカの物価があがっていったとも考えることができるだろう。 90式戦車は今のところ(平成18年現在)250両弱が配備されている。数の面では74式戦車が主力で(800両以上配備)実質的には74式を退役させる気はなく、また退役させられるほどの予算もない。平行して配備されている。 90式戦車は50tもあるために橋を渡れるかどうかの疑念を持っている人がいる。ただ、今では総重量20t以上の大型トラックがバンバン列を連ねて長六橋(熊本市の白川に架かっている橋)を渡っている。中には30t以上の重器をトレーラーに載せて渡る場合もあるが、いずれも橋は揺れても崩れることはない。もっとも50tの物体が橋を渡れないとなるとインフラ整備上問題となるだろう。問題とすべきは90式戦車が自力で川を渡れるように同時開発された90式戦車橋が年間1両ずづつしか作られていない点にあるだろう。戦争になったら大きな橋は爆撃や特殊部隊によって破壊目標となるから、戦時には既存の橋は渡らずに戦車橋などで戦車を渡らせるが戦車の数に比例して作っていないのが問題と言える。90式戦車橋は1両5億円と非常に高価な調達価格だから少数しか調達できないのだろうが、戦車と共に機甲システムとしてまとめて作って安くできないのだろうか。 |