97式軽装甲車(テケ)

全長:        3.70m
車体長:       3.70m
全幅:        1.90m
全高:        1.79m
重量:  4 .8t(全備重量)
装甲:   8mm〜12mm
乗員数:        2名
武装:35口径37mm砲×1
動力:65馬力ディーゼル
    直列OHV空冷4気筒
走行性能:最大速度:40km/h
       航続距離:250km
総生産台数:約570両

(データは37mm砲搭載型のものです)
  軽装甲車という部類は騎兵部隊の後継として、師団の捜索連隊に配備されだした。偵察は無論の事、一般師団に配備されている装甲兵力という事で結構重宝された。軽いので、師団の工兵が作った簡易の橋でも渡れた。94式軽装甲車は以上の理由で、本来の目的よりも戦闘で活躍した。しかし装甲が薄く、中国軍のライフル弾(モーゼルライフル)は側面に当たったら撃ちぬかれたというほどの貧弱さだった。理屈の上では300mの距離なら正面からでも撃ちぬかれる程の装甲だった。また94式軽装甲車は機関銃しか装備していなかったので、戦車が現れるとどうしようもなかった。しかしながら、軽装甲車を歩兵師団では欲したため後継の装甲車を作る事となった。
 試作車両を作ったのは池貝自動車(現、小松製作所川崎工場)で、昭和12年9月に完成した。早速試験を行ったのだが、ある問題点が浮上した。この試作97式軽装甲車は94式軽装甲車と同じく操縦手の右側にエンジンが配置されていたけども、これが9月の残暑が残る時期で運転したらたやらと操縦手が熱くなるのである。南極だったらよかったろうけども(南極の寒さでエンジンが始動できるはずはないけど)これは大問題だった。また、車長との連携にも支障をきたした(やかましいエンジン音が余計にやかましくなって会話が成立しない場合もあるから)。同年11月にエンジンを車体後ろに配置された試作車両が作られた。これで車内熱さもかなり改善し、車長と操縦手との連携もうまくいくようになったし戦闘室も広くなった。この改修型が戦車学校で試験された上で「97式軽装甲車」として採用された。この97式軽装甲車は37mm砲搭載型と7.7mm機銃搭載型の2つがあった。37mm砲搭載型は小隊長車に優先的に配備されていたらしい。
 配備先は歩兵師団の捜索連隊に92式重装甲車や94式軽装甲車の後継として配備された。火力はデカくなったし装甲も厚くなった。しかも芸術品といえるまでに曲面装甲を採用し、極力被弾時(銃弾のだが)にそらせるようにしていたのも特徴だった。鋳造でもないのにここまで曲面を採用したのは立派といえる。また、94式軽装甲車よりも1t以上重くなってはいるものの、7.7mm機銃搭載型で4.5t、37mm砲搭載型でも4.8tと軽量だったため、普通の船舶についている5tクレーンで吊り上げる事ができた。そのため陸揚げも容易だった。しかし肝心の耐久性の点ではあまり評価は良くなかった。キャタピラなどの足回りの耐久性が低く、キャタピラも外れやすかった。また本車に限ったことではないけども、電気系統のトラブルも多く、稼働率は低かったという。
 余談ながら、当時の日本の電線は細い銅線に紙を巻いて塗料を塗った貧弱なもので、欧米のように太い銅線にビニール被覆をかぶせた電線とは信頼性が各段に低かった。ようは銅線が細いので熱が出やすく、紙の被覆なので破れやすく絶縁も悪くショートしやすかった。当時の日本ではエンジンだけでなく、電線もまともに作れなかったのである。
 さて、97式軽装甲車は稼動状態にあるならば、性能面ではよかった。軽戦車として見た場合は恐らくトップクラスの性能ではなかったろうか。実際95式軽戦車の代わりに生産せよとの意見すらあった。ただし、所詮は装甲車。車長は周囲警戒・砲弾装填・射撃・操縦手への指示・・・ようは操縦以外を全てこなす必要があったため、戦車としての運用はできなかったとも想像される。ようは、37mm砲搭載型には機銃がなく、近接する歩兵に対して無力であったし、機銃搭載型にしても1人砲塔では大勢の相手などできなかった。無理に運用してもやたらと損害を増すばかりだったから、やはり歩兵師団に配属が正解だったと言えるかもしれない。その証拠でもないだろうけども、戦車師団の捜索連隊には軽戦車と中戦車のみで軽装甲車は配備されなかった。
 車体自体は秀逸であり、97式軽装甲車の車体を元に98式装甲運搬車や100式挺進観測車が作られた。本来の目的にようやく落ち着いたという所だろうか。
 97式軽装甲車自体は太平洋戦争の太平洋の島嶼戦にも投入された。敵戦車には無論かなわなかったし、絶対優位の対歩兵戦もアメリカ兵はバズーカで応戦して損害を重ねていった。
 生産数は昭和14年度に217両(274両という説もある)、昭和15年度には284両、昭和16年度は正確な数は不明なものの30両程度が生産され、昭和17年度に35両生産をもって生産が終了する事となった。


 97式軽装甲車は上でも書いているけども、曲面加工が美しい。平板鉄板からよく作れたものだなぁと関心してしまう。車体は94式軽装甲車の改修型のように後部転輪が地面に設置しており不整地走行性能があがっている。エンジンはディーゼルエンジンを採用しているけども、独特なのは普通のディーゼルエンジンと違って、渦流式と呼ばれる方式を採用している点にある。渦流式は小型ディーゼルエンジンには最適で現に今の乗用車搭載のディーゼルエンジンは渦流型発火式が多い。詳細は右図を見てもらうとして(相変わらずヘタな絵ですが(^^;)。いちおう描くのに2分かかりました(笑))、この方式の欠点は低温時の始動が弱いという点がある。現在のはこの渦流の発火室に電熱線などのヒーターをつけているものの(現在はセラミックが多い)当時にこのような機能があったのかは不明。少なくともセラミックは当時はなかったろうから、冬の華北での始動は辛いものがあったのではなかろうかと思える。この理由でディーゼルノックを起しやすいという欠点もあった。ディ−ゼルノックとは、ディーゼルエンジンはピストンで圧縮された空気中に(この圧縮された空気温度は600℃にもなる)燃料を噴射して発火させるけども、渦流式の場合は発火が遅れる場合があって、その時の異常着火によるノッキングが起きる現象だけども、今でこそいろいろな対策を施して(着火しやすいセダン価の高い燃料を使うとか、上で書いたようにヒーターを着火室に設けるとか、噴射時期を微妙にズラすとか)軽減されているものの、この当時でどこまで対策が施せたかは疑問が残る。これが渦流式を採用した97式軽装甲車のアキレス健であったと思えなくはないのだけど、エンジンの詳細まで詳しく書かれている戦車関係の資料がないのでなんともいえない。
 車体大きさは94式軽装甲車よりも若干大きいけども、それでも充分小型。今の1000ccクラスの乗用車に砲塔を乗せたような大きさで、当時のエンジンは馬力のわりに排気量が多く、特にディーゼルエンジンはその性質上頑丈に作る必要があったから余計に大きくなっており、そんなデカいエンジンをよくこんな小さな車体に乗せたなぁと関心してしまう。乗用車と違って、大砲やら大砲の砲弾も一緒に乗せているからである。乗員はそんな狭い所に乗って戦闘したのだから、脱帽してしまう。実際、戦車内での待機は脚が伸ばせないから拷問に近いものがあったといわれている。


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