JS-2重戦車
全長:        9.90m
車体長:       ?.??m
全幅:        3.09m
全高:        2.73m
重量:         46.0t
装甲:     最大120mm
乗員数:        4名

左写真は言うまでもなく
WTMのやつです(^^;)
武装:46.3口径122mm砲×1
    (28発搭載)
    7.62mm機関銃×3
動力:512馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:37km/h
       航続距離:240km
総生産台数:約3000両
 始めに断っておくけども、正式の名前はIS-2である。頭文字は、開発当時の国家主席のイオシフ・スターリンの名前をとっているためだけど、ドイツでは「ヨゼフ・スターリン」と言っていたので、JSとドイツ軍内では呼称していた。ここでは「JS」で紹介したい。
 1941年6月22日の独ソ戦開戦直後、ドイツ軍の奇襲攻撃によってソビエト軍は各地で敗走していた。ただし、兵の質はともかく、戦車の質ではソビエト側が圧倒的に上だったため、たった1両の戦車が機甲師団を2日も食い止めたり、快速のT-34戦車は敵陣後方に十何キロも突進したりもした。戦車性能の格差はドイツ軍も度肝を抜き、T-34戦車を捕獲して、何が何でもこれを上回る戦車を作らせ、また、開発中の重戦車もより重装甲・重武装に設計変更して、1日でも早く開発を終了させて、戦線投入を急いだ。前者はパンター戦車ができあがり、後者はティーガー1重戦車ができあがった。開発が早く終わったティーガー1重戦車は1942年8月に早くもレニングラード戦線に姿をあらわした。同地では地形的条件によって、大活躍とはいかなかったものの、いかなるソビエト戦車の大砲も貫通を難しくし、ティーガー1重戦車の主砲はいとも簡単にソビエト戦車を撃ちぬいた。生産数が少なかったため、必然的に配備数も少なかったのだが、戦車の質のソビエト有利のアドバンテージはここに崩れた。
 1943年始めに、捕獲したティーガー1重戦車を検分したソビエト軍は新たな重戦車の開発を急ぐ事になった。ティーガー1重戦車が搭載していた56口径88mm砲は元々は高射砲だったけども、それに対抗してかは知らないけど、ソビエト軍の85mmM1939対空砲を戦車砲とした(厳密には戦車砲の方は少し砲身が短い)重戦車の開発を開始した。1943年8月にはJS-85として採用された。砲塔は完成していたけども、肝心の車体の生産が遅れており、砲塔だけ、既存のKV-1重戦車に搭載して使用した。これはKV-85と呼ばれる。同年10月には量産の軌道に乗ったものの、ほぼ同時期にT-34/85戦車が完成していた。早い話が、中戦車も重戦車も同じ大砲を積むようになったのだった。これでは重戦車の意味がないので、大砲の選定を考える必要があった。結局、46.3口径122mm砲の搭載が決定され、1943年12月からJS-122として量産を開始した。そのため、JS-85は1944年1月までしか生産されず、その生産数も107両でしかなかった。1944年には制式化し、JS-85とJS-122はそれぞれ、JS-1とJS-2という制式名を与えられた。
 JS-2重戦車の初陣は1944年2月のドイツ2個師団をソビエトの2個方面軍で包囲した戦い、コルスン包囲戦だった。この包囲戦での活躍はあまり見聞しないけど、かなり活躍したのは想像できる。JS-2重戦車の手柄ではないけども、ソビエト軍はこの包囲網を突破しようとしたドイツ救援軍を救援放棄させていたし、そのためドイツ2個師団は自力で突破しようとしたものの、包囲を突破できたのは半数にも満たなかった。その後、JS-2重戦車はドイツ戦車と対峙し、ドイツ戦車を圧倒した。そのため、ドイツ戦車隊はJS-2重戦車と真正面から攻撃を控えるようになったという。ティーガー1重戦車やパンター戦車など、動物の名前が付けられた戦車を多数しとめたため「アニマルキラー」とも呼ばれていた。独ソ戦末期になると、ドイツ側も、当時世界最強と謡われた重戦車「ティーガー2」重戦車を投入してきた。全体的な能力ではJS-2重戦車が劣ったものの、そう決定的な差ではなかった。それに、当時のドイツでは西側にアメリカ・イギリス連合軍も相手にする必要があったため、投入数も分散したし、だいいち生産数もそう多くはなかった。しかもドイツでは燃料不足で遺棄される場合も多く、総合的に見たらJS-2重戦車の優位は崩れなかった。この勢いはベルリン占領まで、止むことはなかったのである。

 JS-2重戦車はどちらかといえば、KV-1重戦車よりもT-34戦車の方に似ている。ある意味、T-34戦車がそれほど優れていたからとも言えなくはない。JS-2重戦車の武装は46.3口径122mm砲で、ソビエト戦車としては初めてマズルブレーキ付き大砲を装備した。これは榴弾砲を母体に開発したと思われる。実際、初期型の122mm砲は閉鎖機構が蓋式で、発射速度が毎分5〜6発とあまり高くはなかった。この蓋式閉鎖機構を、スライド式閉鎖機構に変更した122mm砲をのちに装備する。この2つの違いは、蓋式は、蝶番で開閉して、閉め切ったらハンドルを90°回転させて閉鎖していたけども、スライド式は装填手側に閉鎖器を引けばそれで排莢ができて、装填したら閉鎖器を押せばそれで閉鎖が完了する。このため、スライド式閉鎖機構にしたら発射速度が毎分7〜8発に向上した。スライド式閉鎖器の欠点は重量がかさむことで、そのために、発射速度を要求されない牽引榴弾砲などではあまり採用されなかったけども、戦車なら砲自体が動けるのでさほど問題はなかった。なお、122mm砲弾は弾と装薬が分かれているため、装填に2度の手間が必要だったのも、発射速度低下の理由の1つだった。他の武装は、7.62mm機関銃が3丁装備されている。同軸機銃と砲塔後方と車体前方右にあった。また、JS-2mからは対空用に、キューポラに12.7mm機関銃を装備していたけども、当時の写真を見る限り、未装備な車両も多い。この頃になってくるとドイツ空軍がほとんど脅威でなくなったのが理由にあるのだろうか。
 乗員は戦車長・砲手・装填手・操縦手の4名。前方機銃は操縦手が射撃するようになっていたので通常の5名から減らせるようになった。操縦手が前方機銃手を兼ねるので、走行中の前方機銃射撃は不可能ではないにでよ、難しいものだった。
 JS-2重戦車はその強装甲と強武装で、ドイツ軍を圧倒したけども、欠点もあった。まず、搭載する大砲の直径が大きいので、積めこめる弾数も少なく、28発しか積めなかった。もっとも、単独で行動しているなら話は別だけど、普通は中隊単位で戦闘を行うから、1回の戦闘で28発も使う事はそうそうないと思えるけども無論沢山積めこめる方がいいに決まっている。大口径なので致し方ない所なのだろう。次に、これがJS-2重戦車の一番の欠点と指摘される点だけども、車体中央に、操縦手用のバイザーがあり、ここの装甲が弱かった。そのため、それに気づいたドイツ戦車隊はここを集中的に狙っていたという。めまぐるしく動く戦闘中に狙い撃ちするのは至難の技と思えるけども、まだまだドイツ軍にはそういった神がかりな技能をもつ砲手がいたのだろう。ソビエト軍も早速この改良に乗り出した。それで完成したのがJS-2mで、操縦手用のバイザーをなくして、代わりに視察孔を設けた。このJS-2mの完成度はかなり高かった。最高速度はカタログ上ではティーガー2重戦車よりも遅いけども、重量過多で故障の多かったティーガー2重戦車に比べたら45tは軽く、単純な機動性としては比較できないだろう。重戦車としては走攻守いずれも優れたベストな重戦車だったと言えるだろう。
 余談ながら、85mm砲搭載のJS-1は実戦に投入されたか定かではない。それもそのはずで、大半のJS-1はJS-2として改装されたからである。


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