JS-3重戦車

全長:        9.73m
車体長:       ?.??m
全幅:        3.07m
全高:        2.44m
重量:         46.5t
装甲:    75〜230mm
乗員数:        4名
武装:46.3口径122mm砲×1
    (28発搭載)
    12.7mm機関銃×1
    7.62mm機関銃×1
動力:V-2-JS
    V型12気筒水冷
    520馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:37km/h
       航続距離:240km
総生産台数:約350両
 1944年始めから戦線投入したJS-2重戦車はドイツ軍を圧倒した。ドイツ軍はJS-2重戦車との直接対決を避けたとも言われている。しかし、いくつかの欠点もあった。車体正面の操縦手用バイザーが大砲の直撃に弱く、ここをドイツ軍は狙い撃ちしたという。また、避弾径始に優れてはいたが、完全ではなかった。
 JS-3重戦車はそんなJS-2重戦車の欠点をなくすべく作られたといえる。ただ、ベースはJS-2mを基本として改良した。JS-2重戦車自体は優れた戦車だったから、車体自体はあまり改良が加えられていない。多くの部品はJS-2重戦車と共通だったけども、より避弾径始を優れさせるために、鋳造砲塔を溶接砲塔に変えた。また、砲塔は新規の製作で、まさにチャンポンの皿をひっくり返したような砲塔ができあがり、避弾径始はJS-2重戦車とは比べ物にならないほど優れていた。1944年末に完成し、1945年には少数が実戦投入されたと言われているが、戦績はよくわからない。しかし、このJS-3重戦車に度肝を抜かれたのはアメリカ・イギリス連合軍だった。ソビエト軍がドイツの首都ベルリンを占領して、ユーロ戦線での戦いが終わってまもなく、戦勝パレードが開かれた際、ソビエト軍はこのJS-3重戦車を行進させた。まぁ、なんでもいいものを見せたがるのは為政者ならずとも人の常といえるが、JS-3重戦車の低姿勢・重装甲・重武装はアメリカ・イギリス連合軍の度肝を抜いた。特に慌てたのはイギリスで、コンカラー重戦車など、低機動なトロいが重装甲重武装の戦車を作るきっかけとなった。コンカラー重戦車は機動力を無視しているので、結局はムダとなった。資金を浪費させた点ではJS-3重戦車の戦果はかなりあったとも言える。
 戦後しばらく生産が続行されたものの、総生産数が約350両とそう多くない。JS-2重戦車が大量生産されていたのが理由と考えられるが、実際の理由はよく分からない。ただ、配備時期は結構長く、制式装備から外れたのはT-62戦車が制式化された1963年で、外国に目を向ければ、1967年の中東戦争でも実戦投入されたという。ただ、戦績はよく分からない。

 JS-3重戦車の特徴として、徹底的とも言える避弾径始が優れた車体・砲塔のデザインが目につく。車体前面はV型で、ソビエト軍戦車兵は「パイク(槍)」と呼んでいたという。また、上でかいたようにチャンポンの皿を逆さまにしたような砲塔は曲面加工を多用し、また戦車長用キューポラを廃止し、極力背を低くした。全高2.44mは120mmクラスの大砲を積む車両としては今でも低い方だった。ある意味「低い車体に大きな大砲」というソビエト戦車の伝統はここに始まったとも言える。余談ながら、このJS-3重戦車に限った事ではなく、ソビエト戦車の特有な点だけど、砲塔がバスケット式ではなかった。ソビエトの戦車はほとんどがリアエンジン・リアドライブ方式でシャフトが車体の真ん中に通らないからと、車高を低くするためだと考えられるけども、戦車長と砲手などは砲塔と一緒に回転しないといけないから、砲塔に座席が付いていた。バスケット式ではないので、座席は簡単にならざるを得ず、ただの丸イスで、背もたれも操縦手以外はなかった。長距離行軍の際はさぞ疲労度が増したとも考えられる。これがソビエト戦車の欠点と言えなくはない。


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