SU-152・JSU-152自走砲

全長:        9.80m
車体長:       6.77m
全幅:        3.07m
全高:        2.52m
重量:         ??.?t
装甲:     60〜190mm
乗員数:        5名
武装:28.8口径152mm砲×1
    (搭載数20発)
動力:520馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:37km/h
       航続距離:220km
総生産台数:4779両
(上記データはJSU-152のものです)
 軍事に限ったことではないが、たとえば何らかの理由で作られた物がその開発当時では想定していなかった目的で使われる例は少なくない。たとえばドイツ軍の88mm高射砲は名前のように航空機撃墜が目的だけども、対地戦、特に対戦車戦でも活躍した。特に対ソビエトとの戦いでは有効な対戦車戦力はこれしかなく、各部隊でも重宝して使用された。無論元が高射砲なので、陣地構築が面倒・防御力が弱いといった普遍的な弱点を抱えていたのは承知の上で使わざるを得なかったという裏事情もあった。この高射砲は小改造を施してティーガー1重戦車の大砲に使われたのは良く知られている。
 似たようなものに突撃砲というジャンルの自走砲があった。本来の使用用途は歩兵の支援にあった。歩兵の支援が目的だから旋回砲塔はいらない。また、名前のように突撃して敵に肉薄して攻撃をくわえるのだから背高ノッポではいけない。そのため作られた突撃砲はローシルエットの無砲塔自走砲となった。第二次大戦初期では本来の目的に使われていたものの、対フランス戦からは対戦車戦闘でも使われるようになった。突撃砲は対陣地戦闘を考慮していたので、徹甲榴弾(=コンクリートや装甲板などの装甲を貫いた後で爆発するようになっている榴弾)も配備されており、対戦車戦闘でも有効だった。短砲身ではあったが、装甲貫徹力は当時の37mm対戦車砲よりも上だった。特に対ソビエト戦ではソビエト軍の戦車保有数がケタ違いに多かったこともあって、戦車に遭遇する機会も多く、対戦車戦闘には無くてはならぬ戦力となった。初期の頃は短砲身だったが、後に戦車と同じ長砲身の大砲を積むようになり、また旋回砲塔がないから製造も簡単で、背が低いので対戦車戦闘にもうってつけで中盤以降は対戦車戦闘が主任務となっていった。
 突撃砲の柔軟な運用にはソビエト軍も目を引いたようで、1943年1月に新型突撃砲の製作を命令していた。これには条件がついていて「とにかく早く作れ!」というものだった。この頃にはドイツ軍のブラウ(青)作戦も頓挫していた(ブラウ作戦=1942年夏からのドイツ軍の夏季攻勢。コーカサス油田の奪取が主目的だった)。あまりにも伸びすぎた戦線にソビエト軍が側面から攻勢を仕掛け、150万のドイツ軍を分断する目的だった。結果からいえばドイツ軍の素早い撤退でかなわなかったが、30万のドイツ第6軍の包囲に成功した。補給路は完全に断たれ、降伏も時間の問題とされた頃だった。あとはドイツ第6軍を撃滅し、攻勢移転をかけようとした時期で突撃砲のような攻勢時に柔軟な運用が可能な戦闘車両を欲したのだった。
 ただ、「早く作れ!」っても限界はあるだろう。粘土細工ではないのだから、設計図も必要だし、作る設備だっている。既存品流用でもだいたい半年はかかるものなのだ。しかしソビエト技術陣はそのワガママな要求に見事に応えた。なんと25日で試作車両を完成させた。設計にあたってはKV-1重戦車の車体がそのまま流用され、主砲にはML20S 28.8口径152mm榴弾砲が搭載された。152mm砲となると砲弾重量だけでも40kgをゆうに超えるので、装填手が大変だから、可能な限り戦闘室を広くとりたかったため、砲の位地が極力前になるようにして戦闘室のスペースを確保した。ちなみに、KV-1重戦車は車体の真ん中に操縦席があるため、その真上に大砲をもってくるのはマズいから大砲は右にズラされている。いうまでもないが、車体はそのまま流用されているからで、その設計変更の時間も惜しんだからだろう。
 初陣は1943年7月に行われたクルスク戦だった。クルスク戦はソビエト軍120万、ドイツ軍90万が参加した史上最大の決戦で、この一戦の勝敗が東部戦線の勝敗を決定つけるといっても過言ではなかった戦いだった。ちなみに、ドイツ軍では「チタデレ(城塞)作戦」と呼ばれ作戦開始は5月と予定されていたものの、ヒトラーが新規開発戦車の投入を強く要望したため7月にずれ込んだ。ずれ込んだせいもあってSU-152はクルスク戦に間に合ったといえる。砲身は比較的短いので初速は遅かったものの、重量がある砲弾だったので、その分装甲貫徹力は優れていた。ドイツ軍の誇るティーガー1重戦車でさえ真正面から撃破可能な唯一のソビエト軍戦闘車両だったためソビエト軍から重宝がられ、ドイツ軍からは重要警戒がなされた車両でもあった。結局、クルスク戦はソビエト軍の陣地構築の巧妙さからドイツ軍は思ったほどの進撃ができず、そのモタモタしている間に、アメリカ・イギリス連合軍がシチリア島に上陸した事もあって早々にドイツ軍は撤退した。SU-152がいたからクルスク戦は勝てたといえば過言だろうが、ソビエト軍兵士からはSU-152を「ズベロボウイ」(猛獣狩り)と呼ばれていた事実からも、その威力が知れる話ではないか。
 KV重戦車の生産終了に伴い、車体がJS重戦車のものに変わって生産が継続された。これをISU-152と呼ぶ。用途は両方とも変わらず、配備先は重自走砲連隊に配備され、防御陣地の攻撃や歩兵支援、または対戦車任務をこなした。1945年には生産は終了するが、SU-152とJSU-152、また派生型のJSU-122を合わせて4779両が生産された。配備は終戦後も行われ、ワルシャワ・パクト軍でも長らく使用されたといわれている。


  SU-152自走砲のバリエーション

 SU-152:
 詳しくは上の本文参照。KV重戦車の車体を使っていたため、その生産が終わる1943年10月には生産を終了した。704両が生産された。可能な限り戦闘室を広くしてはいるが、40kgもある砲弾を弾庫からセッセと装填するのは重労働を通り越して拷問に近いものがあったろう。背が低く、砲弾も大きく、弾庫スペースも限られたために20発しか搭載できないというのが欠点といえば欠点だったといえるかもしれない。20発といえば一会戦分にも足りないとは思うが、それはそれで、投入数を多くしてなんとか乗りきったという。

 JSU-152:
 KV重戦車の生産終了に伴い、車体をJS重戦車に変更した。マニアならばすぐに見分けがつくが、デザインはほとんど同じなのと(JSU-152の方が若干背が高い)、同じ大砲を積んでいるため、パッと見た目には分かりにくい。性能面でも、カタログデータ上ではJSU-152の方が若干速度が早いものの、そう大差はない

 JSU-122:
 上のJSU-152と平行して生産が行われた。JS-2重戦車と同じA-19S 46.3口径122mm砲を搭載した。榴弾威力では当然JSU-152には劣ったものの、装甲貫徹力ではこっちが勝った。特にJS-2重戦車の生産がなかなか進まなかったせいもあって、その穴埋めとして大活躍した。装甲も正面のもっとも分厚い部分(防盾部)が200mmの装甲だったので、1000m以上ならばティーガー2重戦車の砲弾をも(計算の上では)はじき返す事ができた。


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