T-72戦車

全長:        9.53m
車体長:       6.95m
全幅:        3.59m
全高:        2.23m
重量:         46.5t
装甲:    最大280mm
乗員数:        3名

(上記データはT-72初期型のものです)
武装:42.4口径
     125mm滑空砲×1
    (45発搭載)
    12.7mm機関銃×1
    (300発搭載)
    7.62mm機関銃×1
    (2000発搭載)
動力:V型12気筒水冷
    840馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:60km/h
       航続距離:550km
総生産台数:???両
 第二次大戦後のアメリカ・ソビエトの軍拡競争はとめどなく行われていた。主力兵器である、戦車・戦闘機・・・そして第二次大戦後、兵器の主役となっていった大陸間弾道ミサイルなどがその代表例だった。大陸間弾道ミサイル・・・ようは核ミサイル・・・はさすがに両者とも使えなかったけども、戦車・戦闘機は自国の友好国にどんどんと輸出され、それらの国々で使われていった。いわゆる”代理戦争”である。
 戦車は第二次大戦後すぐに起こった朝鮮戦争で試された。ソビエト製の北朝鮮軍のT-34/85は当初こそ無敵の活躍だった。アメリカ軍供与の60mm口径のバズーカや57mm対戦車砲はまったく通じなかった。そこで、国連軍(実質的なアメリカ軍)はM26パーシングを戦場に投入。T-34/85は完全に破れた。完全なショック状態だったソビエトは90mm砲の上をゆく、100mm砲搭載のT-55を完成。それに脅威を感じたアメリカなどの西側諸国は100mm砲の上をゆく105m砲を搭載しだした。これに対抗して新鋭T-62戦車には115mm滑空砲を搭載したものの、それに飽きたらなかったのか、125mm滑空砲を開発し、これを搭載する戦車、T-64戦車を開発した。このT-64戦車はエンジンにガスタービンエンジンを搭載する画期的な戦車ではあったものの、実用化のメドは開発段階で疑問視されていた。そのためか、ソビエト陸軍兵器局ではT-64戦車の保険としてT-62戦車をベースに125mm砲搭載の新型戦車を開発していた。結局T-64戦車の採用でこの計画は流れたものの、部隊配備してみるとエンジンの故障が多発した。理由としては当時の技術では1分間に何万回転もするタービンの耐久性の問題などがあったと考えられる。ともあれこの保険戦車の案が復活することになった。ただ、ベースはT-64戦車で、完全に変わったのはエンジンだけだった。こうして生まれたのがT-72戦車だった。詳細ではことなってくるが、T-64戦車とT-72戦車の違いはガスタービンエンジンかディーゼルエンジンかの差と言える。細かい点を言えば、転輪がT-72戦車の方が大きいし、外見上での違いも、赤外線投光器がT-64戦車では車体左(上からみて)にあったのに対してT-72戦車では右についている。
 T-72戦車の特徴といえば、ソビエト戦車特有の「小さな砲塔に大きな大砲」があるし、決定的に西側戦車とちがっていたのは自動装填機構を120mm砲クラスでは初めて搭載された点にある。もっともT-64戦車にもついていたけども、大量生産された車体ではT-72戦車が最初だった。これが小型砲塔を可能にしたといえる。なぜなら、戦車内で動く必要があるのは砲手のみで、これが車体の大きさの制約ともなっていた。もっとも自動装填装置をつけていない戦車でも砲手のスペースは、われわれ素人から見れば限界以上に狭い。自動装填装置をつければ動く必要もないし、だいいち乗員を1人減らせるから余計に小さくできた。そのため砲塔が小さくなったけども、その理由で弾を砲塔に収容できず、車体から持ち上げて、装填するようになっている。車体に砲弾を搭載するため、弾と火薬は別に装填するようになっている。T-64戦車の頃はその装填装置に問題があり、乗員の腕や足を装填しようとしたなどの苦情もあいついだらしい。そのためにT-64戦車は大量生産されず、輸出もされなかったのかもしれない。あと、砲弾を前後逆に装填するという事故も多発したともいわれているが、これは確認ができない。もし事実ならば、大変だろう。なぜなら発射と同時に自分の戦車が吹っ飛んでしまうからである。T-72戦車の頃になるとこの欠点も解消したらしいどうしようもない欠点として、機構が複雑なのと、T-72戦車特有の欠点は弾庫が上記の理由で車体の真ん中という命中しやすい所に配置されているので、ど真ん中に直撃した場合、派手に吹っ飛ぶという欠点がある。実際、湾岸戦争ではこれでハデに吹っ飛んだT-72戦車は数多い。西側諸国が自動装填機構を採用していない国がまだ多いのもこういう欠点があるからかもしれない。実際、自動装填機構の有利さはいまだ証明されてはいない。余談ながら、この自動装填機構をソビエトでは「カセトカ」と呼んでいた。
 T-72戦車は1973年前後に採用され、量産開始は1974年に行われ、1975年から配備された。また、輸出も大々的に行われ、東側諸国はもとより、フィンランドや中東諸国の反アメリカ諸国に輸出された。このT-72戦車の出現は105mm砲搭載戦車を主力戦車としている西側諸国に大きな衝撃を与えた。特に120mm砲クラスはイギリスにしかなく、また、イギリスの120mm砲搭載の戦車(チーフテン)は機動力が劣った。ここに、西側諸国は120mmクラスの大砲+機動力に優れた戦車の開発を始めたか、拍車がかかったことだろう。
 1983年のシリア対イスラエルの戦闘で、少数のT-72戦車が捕獲され、イスラエル軍内で徹底的に調査された。たぶんこの情報はアメリカにももたらされた事だろう。当時、アメリカの最新鋭戦車はM1エイブラムズで、搭載する大砲は105mmだった。後の1985年には120mm滑空砲搭載のM1A1エイブラムズに発展するけども、こうした理由があったからかもしれない。
 上で書いたようにT-72戦車は世界のソビエト友好国に大々的に輸出されたものの、ソビエト本国用と違って、いくつか簡略かしている。これはT-72に限らず、多くの機動兵器(戦車とか戦闘機とか)でそうしている。輸出型戦車では、核攻撃下の戦闘は局地戦では起こり得ないから、鉛の内張り(放射線を遮断するため)をなくしているのがほとんどだけども、機密保持の理由で特殊な装甲をやめて、普通の装甲板をあてがったり、弾も劣った材質のを輸出していると言われている。鉛の内張りの削除は当然だろうけども、装甲板の質を落とすのはあんまりじゃぁないかなと思える。西側諸国ではソビエト軍用の兵器を人間に例えて、輸出用を人間に知恵で劣る猿と蔑称で呼んでいる。通称、ソビエト製兵器の輸出モデルを「モンキーモデル」と呼んでいる。
 T-72戦車の一番の不幸は湾岸戦争でイラク軍が使用したことで、この戦いでT-72戦車は一矢も報いることなく、完全に敗れた。M1A1エイブラムズ相手にはまず、夜戦能力で劣り、命中率もT-72戦車の方が低かった。かりに当てたとしても、砲弾はほとんどはじき返された。逆にM1A1エイブラムズの弾は3000mからの遠距離からでも簡単にT-72戦車の装甲を撃ちぬいた。アメリカ軍の記録フィルムでは砲塔をハデに吹っ飛ばされて撃破されるT-72戦車があったけども、あれを世界中の人に見られたせいもあり、T-72戦車の評判は落ちるに落ちた。弁明するとしたら、戦力比が圧倒的だった事。イラク軍が装備するT-72戦車は上で書いたようにモンキーモデルで能力が劣った事。また、徹甲弾の材質も相当悪かったらしいという点があるだろう。
 T-72戦車はやられたせいもあってか、T-72戦車を保有する各国は装甲の強化などに乗り出したものの、T-72戦車を放棄するような事はしなかった。それだけ優秀な戦車であるといえるだろう。実際、各国でT-72戦車をベースにいくつもの派生型が作られている。


 T-72戦車のバリエーション

 T-72初期型:
 実際には単純に「T-72」であるが、ややこしいのであえて「初期型」と記載する。上で書いたように部隊配備は1975年だったけど、一般に公開されたのは1977年だった。初期型はサイドスカートが特徴的で、普通の固定式ではなく、5つに分離しており、それぞれが60°ぐらい前方に開く構造になっていた。これは対戦車ミサイルの防御策で、斜め前方から飛翔する対戦車ミサイルに対する防御だった。ただし、手間ヒマと金がかかるワリに効果はなかったようで、初期型でも後の生産分からはつけられなくなった。

 T-72M1975:
 正確にはこうは呼ばれていない。便宜上の名称である。このT-72M1975はT-72初期型のモンキーモデルでようは輸出型バージョンで1975年から輸出が開始されたため、その名前を便宜上、西側諸国で付けた。T-72M1975とT-72初期型の違いは、対核兵器防御装備が外された。局地戦では核兵器が使用される事がないからである。また、装甲が特殊なやつではなく、普通の装甲板が張られていた。そのため、オリジナルに比べて防御力は劣った。装甲変えた理由は機密保持の意味あいがあったのだろう。細かい点をいえば、砲弾の搭載数も異なっていたといわれる。

 T-72A:
 T-72初期型の照準装置はパノラマ式光学照準装置だったものの、これを西側戦車に対抗してレーザー測遠器がつけられた。なお、このレーザー測定機はT-72初期型にも逐一追加装備されていっている。あと、T-72Aと外見上で異なっているのは、砲塔の前にスモークディスチャージャー(81mm発煙弾発射器)が装備されているという点にある。これまでのT-72はT-62から装備された、エンジン排気煙幕装置(エンジンの排気ガスに燃料を吹きつけて白煙を発生させる装置)が装備されていたものの、この装置は構造上後ろにしか煙幕開帳ができないので、それを補うために装備されたと思われる。実際にエンジン排気煙幕装置はそのまま残された。1979年から生産開始された。

 T-72M:
 T-72Aの輸出型。ようはモンキーモデルである。T-72Aとの違いはT-72M1975と同じく対NBC防御装置の簡略化と装甲板の変更にある。この型は1983年のイスラエル軍によるレバノン侵攻で実戦投入され、105mm砲搭載の戦車「メルカバ」にあえなく、破れ、少数がイスラエル軍に捕獲された。

 T-72M1:
 T-72Mの装甲強化型。敵105mm砲の戦車に敗れた事から、装甲の強化が求められたために開発された。車体前面に16mmの表面硬化処理した装甲板を追加している。砲塔前面の装甲厚も300mm以上になったらしい。装甲の脆弱さは、モンキーモデルだからとも思えなくはないが、とりあえずは急造の処理をしたのだろうか。

 T-72AV:
 T-72Aにリアクティブアーマーを施した型。リアクティブアーマー自体はイスラエル軍が開発したものの、レバノン紛争でシリア軍が捕獲し、ソビエトに送り込まれたものを無断コピーしたもの。リアクティブアーマーはその爆発力で、敵の弾の威力を減じるもので、ソビエト軍では相当に重宝した。また、これまでスモークディスチャージャーは砲塔前部にあったものの、ここにリアクティブアーマーがきたので、砲塔側面に移動した。1985年に登場。

 T-72B:
 T-72Aの主砲を2A46M 125mm滑空砲に変えた型。早く言うならT-64戦車やT-80戦車のように主砲から対戦車ミサイルも発射できるようになった。この対戦車ミサイルは9K119「フレグス」というミサイルでNATOコードはAT-11、最新型には9K120「スビル」というのもあるらしい。有効射程は最大5000mで、この距離でも700mmの装甲を貫通するといわれている。大砲とミサイルを兼用する理由は、滑空砲は弾が回転しないので、横風に弱く、特にソビエトの125mm滑空砲では2000mを超えたあたりから、命中精度が急激に悪くなるので、その穴埋めとしてミサイルが採用されたとされる。実際、湾岸戦争ではイギリスの戦車チャレンジャーの120mmライフル砲は5000mの距離でT-72戦車を撃破したけども、M1A1エイブラムズは3000mでの撃破が限界だった。搭載数は砲弾41発に対して4発がこの対戦車ミサイルを搭載している、このミサイルの値段は砲弾の10倍の値段がするので、イザという目標以外には使われないという話もある。また、20mmの追加装甲板が付けられており、トップアタック兵器用として、砲塔上面にも追加装甲板がある。当然、重量がかさんだけども、エンジパワーアップさせていると言われている。1985年に登場した。ただ、上のT-72AVと識別するため、T-72 M1986と呼ばれる事もある。

 T-72S:
 1987年に登場した。T-72M1にリアクティブアーマーを付けた型。ただ、T-72AVと比べて数も(T-72AVは225個、T-72Sは155個)並べかたも違っており識別は容易にできる。モンキーモデルなので、装甲関係もT-72M1とかわらない。

 T-72BM:
 T-72Bにリアクティブアーマーを付けた型。T-72BよりもT-72AVに当然ながら見間違えられやすい。1988年から生産開始。西側諸国ではT-72M1988とも呼ばれていた。

 これ以降の型はT-90と呼称されたために存在しない。また、T-72戦車を採用した各国でも独自の改良を行なっているけども、ここでの紹介は割愛させていただきます≦(_ _)≧


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