T-80戦車

全長:        9.66m
車体長:       7.00m
全幅:        3.59m
全高:        2.20m
重量:         46.0t
装甲:       ???mm
乗員数:        3名
武装:42.4口径
     125mm滑腔砲×1
    (45発搭載)
    12.7mm機関銃×1
    (500発搭載)
    7.62mm機関銃×1
    (1250発搭載)
動力:GTD-1250
    1250馬力ガスタービン
走行性能:最大速度:70km/h
       航続距離:400km
総生産台数:4000両弱?
 T-80戦車はT-64戦車の後継モデルと言える。もっとかいつまんでいえばT-64戦車をまともに使えるようにした戦車とも言えなくはない
 ガスタービンエンジンを戦車に搭載する事はソビエトでは結構早い段階で行われていた。1960年代から開発が行われていたといわれている。ヘリ用のガスタービンエンジンを元に開発が行われていたという。ガスタービンエンジンは以下の利点・欠点がある。

利点:
・エンジンが小さくできる(ディーゼルエンジンは強度をもたせる必要があるので大きくなってしまう)
・ガソリンエンジンと違って燃料が低質なものでもOK
・常にタービンを回しているのでエンジンレスポンスが良い

欠点:
・常にタービンを回すので燃費が悪い
・タービンを高速回転させるため強度のある材質がいる(高度な技術が必要になる)

 ただ、燃料を食うのは仕方がないとしても、当時は技術の点で問題があった。ガスタービンエンジンをはじめて搭載したT-64戦車を作り上げたものの、その性能は決してよいものではなかった。機械的な信頼性が高くなく、ようは故障しやすかった。故障しやすい戦車など戦場では役には立たない。これは第2次大戦でドイツが証明していると言える。あと、燃費もよくなかった。常に高速でタービンを回すのだから当然といえた。結局はT-64戦車の保険の意味合いで作られたT-72戦車がソビエト戦車の主力となった。
 ただし、どこかにあきらめきれなかった人間がいたのだろうか、ガスタービンエンジン搭載の戦車の開発は続行されていた。T-80戦車は当初はオブイェークト219(219計画)と呼ばれていて、その原型は1970年に完成したと言われる。車体は新型だったものの、砲塔はT-64戦車のままだった。試作は何度か続いたものの、転輪がゴム付きに変わった以外の外見の変更はあまりなく、エンジン関係の改造とも考えられる。1976年には制式化され、「T-80」という制式名が与えられた。80という数字はどこから沸いて出てきたのかは分からない。
 早速量産され部隊配備されたものの、初期故障が多く燃費も悪いため現場部隊からの評判はいいものではなかった。故障の多さは後に改善されるものの、燃費の悪さはどうしようもなかった。T-80戦車の致命的だった点は価格が高いという事だった。早速制式化しながらも、一気に戦車部隊の戦車をT-80戦車に更新する経済力はソビエトにはなく、価格の安いT-72戦車との折衷装備を行っていた。もっとも同じ部隊に2つの戦車を混在させてたわけでもないだろう。優良部隊に優先してT-80戦車が配備されてたと考えられる。ただ、当時のソビエト軍はT-64戦車もそのまま配備していたので、T-64・T-72・T-80と似たような戦車が混在して存在していた事になるがある意味ソビエト軍の台所事情をそのまま反映していたとも言える。
 T-80戦車はいろいろと改修が行われた。詳細は下項に譲るとして、T-64から搭載していた自動装填機構はそのまま踏襲されていた。自動装填機構は西側戦車では90年代にならないと登場しないけども、西側諸国の自動装填機構は砲塔の後ろに弾庫をつけているけども、いろいろな戦場でのデータでは砲塔はもっとも弾を食らいやすいというデータが出ている。そのためかT-80戦車でもT-64戦車と同様に車体中央に弾庫がありそこから装填する。砲塔は常に前を向いているわけではないので、車体に弾があると、装填の際にいちいち砲弾をその向きに変える動作が出るので、砲塔の後ろに弾庫がある西側戦車(90式戦車やルクレール)と比べても複雑な機構になる(砲塔後ろにあると、大砲の真後ろに常に弾庫がくるので、押し出す動作だけでいい。もっとも俯角仰角の問題があるけども、戦車はそう大きな角度を付けて大砲を撃つわけではない)。また、押し出すだけの動作ではないので砲弾と薬莢を一緒にできず(一緒にすると長すぎて、車体弾庫から装填する際につっかえる)弾と火薬の2つを装填しないといけない。また、T-64戦車の頃だけども、分離式なので、弾を装填する際に逆に装填してしまうこともあったという。この点発射速度で劣るといえば劣るといえる。あと、車体中央は砲塔までとはいかなくても、砲弾を食らいやすい部位といえ、湾岸戦争の記録フィルムでも、M1エイブラムズの砲撃で砲塔を真上にどっか〜んと飛ばして文字通り撃破されたT-72戦車をみていると、やはり欠点とも言えなくはない。
 T-80戦車は改良型のT-80Bから、大砲からミサイルを発射できるようになった。NATOではAT-8ソングスターと呼ばれるミサイルだけど(余談ながらNATOコードではソビエト軍の地対地ミサイルには頭文字にSをつけていた)制式名(ソビエト軍での名前)は9K112コブラだった。当初このミサイルは西側諸国のAH-1ヒュイコブラなどの攻撃ヘリ対策用と考えられていたけども、実際には対戦車用で、125mm滑腔砲の有効射程は2000mでそれ以遠では命中率が急落する理由と、敵(西側諸国)の戦車をアウトレンジで攻撃するための2つがある。このミサイルは有効射程が4000mで貫通力が600mmだから、当時の西側戦車では命中さえすれば1発で撃破可能だった。誘導方法は無線誘導式で今のレーザー誘導式に比べれば旧式なのは否めない。1台に5〜6発程度搭載されていると考えられるが、ミサイルなので値段が砲弾の何倍もするから、重要目標でないかぎりは使わないだろうと考えられる。これらを射撃照準する装置はIA33型と呼ばれるFCSが組み入れられている。これはIG42測遠器・IV517弾道計算機・射撃装置・スタビライザー(安定器)・戦車速度・戦車の傾斜具合や、また、車外につけられた環境センサーで風向きなどを測定してこれらのデータを取り入れて射撃に有効利用される。特にスタビライザーは新型で、高速走行していても安定して射撃できると言われている。しかし、これらの電子機器装置は西側諸国のそれと比べれば1段劣るといわれている。
 T-80戦車の車体は溶接構造で特に車体前面は複合装甲が取り入れられているといわれている。しかしそれでも防御力不足だったのか年を追う毎に装甲は追加されていった。特にT-72戦車にもあった車体前面のV型波きり板が追加装甲を施した結果、なくなってしまった。車体と砲塔内部は鉛を内張りして、中性子爆弾(放射線物質のみを放出する爆弾)に対抗している。また、内部にはさらに、スペクトラ繊維(ないしケプラー繊維)にして、イギリスのチャレンジャーなどが使う粘着榴弾(=弾殻を柔らかくして、粘着させて爆発させその衝撃波で装甲内側の金属を破壊してその破片で乗員を殺傷させる弾)対策としている。追加装甲だけでなく、T-80戦車は自身を守るためにさらに追加装甲を施した。これはT-80BVと呼ばれるけども、これはリアクディブアーマーを追加した型で砲塔にびっしりと箱型のこれがついているので外見ですぐ分かる。対戦車ミサイル用防御のために、ミサイル防御装置も充実している。レーザー照射を受けると自動的に発煙弾を発射して姿をくらまし(レーザーは雨・雪・霧・煙状態ではレーザーが拡散してしまう)その上に赤外線を照射してミサイル誘導のモニターを妨害する。また、レーダーで敵ミサイルを探知して、弾道計算を行い、ミサイルが命中寸前にきたら爆発パネルを爆発させてミサイル命中の前に誘爆させる装置まである。
 それでも、物足りなかったのか、T-80戦車はT-80Uに発展した。大きく変わったのが、エンジンで1000馬力から1250馬力にパワーアップした。また、アイドリング時にガスタービンエンジンのタービンを常に回さなくてもいいようにタービン発電機(出力18kw)を併設しアイドリンクの時はここから得られる電気でまわすようにしている。今でいうハイブリッドエンジンと言える。また125mm滑腔砲も新型となった。大砲も外見上ではあまり変化がないものの、砲口照合システム(大砲の先っちょと根元の距離を測って、ダレてるかちぢんでいるかを測定して、弾道計算に役立てる装置)が追加装備されている。搭載ミサイルも無線誘導からレーザー誘導にかわった。無線誘導では射手が常に目標を確認して照準内に敵戦車を収める必要があるので、必然と射程に限界があるし(点にでも見えないなら照準できない)いくら敵からアウトレンジで攻撃するとはいえ、自分の戦車が動きながらの照準は困難を極めるからこの変更はいい変更だと言えるだろう。レーザー照準ならば、レーザーを照射していればいいし、それにその照射も自分ではなく他の小型車両(発見されにくい)にバトンタッチしてもいい。つまり発射して自分は逃げてもいい。それにレーザー照準ミサイルは速度が速く(マッハ2ぐらい。無線誘導は500km/hぐらい)相手の回避も難しくなる。
 T-80戦車はソビエト戦車の切り札といえる兵器であったためか輸出される事はなかった。しかし湾岸戦争でソビエト戦車の評判がガタ落ちになった上にソビエト自体がなくなり、ロシアに変わった。穀倉地帯のウクライナなどが独立したためロシアの今の財政は火の車になっている。そのために外貨獲得と自国戦車の汚名挽回のために積極的に輸出を図っているけども、商談がまとまった例はほとんどない。キプロスに81両が売られて、韓国に80両が渡った程度である。しかも韓国に渡った分は輸出ではなく、債務の現物支払い分で輸出とは言えないだろう。韓国ではT-80戦車を仮想敵戦車として演習で使われているし、有事の際は北朝鮮軍に偽装して出撃される事も考えられる。80両もあれば1個連隊分ぐらいは充分賄える。
 現在の運用はロシアで約3500両が運用されているといわれている。またウクライナの重工業都市ハリコフでも量産されたせいもあってウクライナでも300両弱が運用されている。工場まるごとがウクライナの支配下に収まっているためにウクライナでもこのT-80UD戦車を発達させたT-84戦車も開発されたが、この詳細は別項に譲りたい。
 T-80戦車はソビエト最後の戦車であり、最新鋭の技術・器材を惜しみなく使用した戦車だった。西側諸国ではあれこれと情報を求めて、「我々の戦車で勝てるのか?」と最後の最後まで恐怖心を煽った戦車でもあった。そういう意味でも「最後の戦車」と言えるのだろうか?

  T-80戦車のバリエーション

 T-80:
 初期生産型。詳細は上記参照。砲塔がT-64戦車のままだったのが特徴。距離測定がステレオ式光学照準だったけども、生産途中でレーザー測定機に換えられたのはT-64戦車やT-72戦車と同じだった

 T-80B:
 砲塔を新型にした型。ただし、外見はあまり変わらない。主武装は125mm滑腔砲のままだけども、決定的に変わったのはこれから対戦車ミサイルが発射可能になった事だった。防御力もセラミックアーマーが増設されHEAT弾に対する防御力が飛躍的に向上した。このために、車体前部のV型水切り板が見えなくなった。エンジンも1100馬力に(今までのは1000馬力)あげられた。

 T-80BV:
 T-80Bにリアクティブアーマーを付けた型。外にびっしりはられているので見た目ですぐに分かる。1980年代の冷戦最終期のソビエト戦車で出てきた写真は大抵がこれだった。

 T-80U:
 T-80Bの発展型(T-80の発展型とする資料もある)。Uとはロシア語で「発展型」を意味する頭文字をとったもの。なので、C型からT型まで改良のオンパレードだったわけではない。一番のウリはエンジンが1250馬力にパワーアップした事で、これで防御装甲の強化による重量増加のマイナスを補完してあまりある速度を発揮している。また、エンジンはアイドリング時は発電モーターでタービンを駆動させるようにして、燃費を多少なりとも良くしている。主砲は外見は同じだけども、発射できるミサイルが無線誘導からレーザー誘導に変わった(上の本文参照)。また、些細な事だけどシュノーケルが細身になっている。

 T-80UD:
 T-80Uのエンジンがディーゼルエンジンになった型。ガスタービンエンジンと同じ大きさで同じ馬力をディーゼルエンジンでは発揮する事ができる1000馬力に落ち込んでいるため、機動性が劣る。ただし、燃費はいい。この型の開発目的はT-80Uが失敗したときの保険とも、輸出をねらった型とも言われているが、実際には両方なのだろう。

 T-80UM:
 T-80戦車の最新型。防御にパッシブ的なものだけでなくアクティブ的な防御装置を取り入れている。TshU-1-7"シトラ"と呼ばれる対戦車ミサイルジャマーでレーザー照準の対戦車ミサイルでレーザー照射を検知すると自動的に発煙弾が発射されるだけでなく、強力な赤外線を照射して照準手のモニターを妨害するというシステムである。また、アレナDASと呼ばれる装置があるけども、これは爆発パネルで対戦車ミサイルが自分の戦車に命中する直前に爆発してその破片を対戦車ミサイルに命中させて誘爆させるというなんともすさまじい防御方法と言える装置。爆発させるので何度も対戦車ミサイルを打ち込まれたらアウトだけども、戦車戦で単独行動は希だし、そう何度も対戦車ミサイルは飛んではこないだろうからこれでも十分なのだろう。また、T-80UM1やT-80UM2という型も存在するけども、詳細は不明

 なお、全ての型に指揮戦車型が存在する。これは末尾に"K"を付けて識別している(T-80UKなど)通信装備が他と比べて余分に詰め込まれている分、対戦車ミサイル発射装置が省かれているのが共通な仕様。


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