小惑星
asteroid



↑アメリカの探査機「ガリレオ」が撮影した小惑星「イダ」。
右に見えるのは遠くの小惑星ではなく、イダの衛星「ダクティル」
かつて、「小惑星に衛星はあるのか?ないのか?」という議論がされたことがあるが、
この写真1枚でその議論は終止符を打った。
この後も衛星を持つ小惑星はいくつか発見されている。



 チチウス・ボーデの法則というのがある。この法則は太陽系の惑星の太陽からの距離を簡単に表したもので、水星に0、金星に3、地球に6、火星に12、木星に48、土星に96の数字を置く、つまり水星を除いて金星の3を閾値(しきいち)にして倍にする数字を近い順番に充てていく。その数字に4を足して10で割ると地球を1として考えた各惑星の距離をあらわすという法則である。「チチウス」と「ボーデ」の2人の名前が法則名についている理由は、2人が共同して発表したのではなく、1766年にチチウスが最初に論文として発表したがほとんど省みられず、1772年にボーデが論文で発表しなおすと一躍有名となった。そのため、当初は「ボーデの法則」と呼ばれていたが、今では「チチウス・ボーデの法則」と呼ばれている。

 見て分かるようにこの数字には24が欠けている。実際に24に該当する位置に惑星は(当時は)存在しなかったために単なる数字合わせと思われた。しかし1781年に天王星が発見され、この法則の「192」に該当する距離だったために、信憑性は一気に高まった。「24」に該当する惑星は「存在しない」のではなく「見えない」だけなのだと考えられるようになった。

 19世紀が始まった1801年1月1日。イタリアの天文学者であるジュゼッペ・ピアッツィが小さな動く星を発見した。当初は彗星だと考えられたが観測を続けていくうちに太陽を公転している星だとわかった。この発見された星は「ケレス・フェルディナンデア」と命名された。ケレスとはローマ神話の大地の女神セレスから取られ、フェルディナンデアとは当時のナポリ王国(今のイタリア南半分の領土の国)の王様の「フェルディナンド4世」から取られた。フェルディナンド4世は後に革命で亡命の憂き目を見るため、後には単純に「ケレス」となった。名前が長すぎるという理由もあったろう。
 ケレスは当初は惑星とされた。しかしケレス発見の翌年の1802年には似たような距離でパラス、1804年にはジュノー、1807年にはベスタが発見された。それでもケレスは「惑星」の地位を保っていたが、1845年、アストラエアの発見以降、ケレスの宙域(俗に小惑星帯と呼ばれる)にはかなりの数の「惑星」があるらしいことが分かった。そのためケレスもその地位があやうくなってきた。
 
 さて、この頃には「asteroid」という言葉がすでにあった。この言葉は天王星を発見したウィリアム・ハーシェルが考えた言葉で、aster(星という意味)とeidos(形という意味)を足した言葉で日本語にベタ訳せば(惑星のようなもの)となる。この言葉は本来、衛星や惑星(水星から天王星までの)以外の星に当てはめた。ハーシェルが存命中に発見された小惑星帯の星の数は4つで、ハーシェルが意図的にこの名前をこれら4つにつけたわけではないが、言葉がいいからか、小惑星帯から続々と見つかってきて、もはや惑星ではないと判断し、いい言葉だと思ったからか、ケレス以下のこの惑星たちに「asteroid」と命名するようになった。日本語でいう「小惑星」である。

 19世紀中だけでも発見された小惑星は実に463個に達する。20世紀になるとその数は文字通りの「ケタ違い」の数の発見となる。発見が相次いだ理由は、「実際に多くの小惑星があったから」というのは無論だが探す人間もケタ違いに増えたという理由もある。いわゆるプロの天文学者は夜空を眺めるだけではなく論文の作成などやほかの実務もこなさないといけない。単に天体観測を趣味としているのであれば、夜空を眺めているだけで満足である。小惑星や彗星を発見して自分の名前が付けられるとなおさらである。小惑星の発見にはアマチュア天文家の存在も大きかった。天体望遠鏡は戦前は高値の花で一般人が買えるものではなかった。また天体望遠鏡は双眼鏡と違って「天体を見る」以外の用途には使えないため、よほどの天体好きで裕福でないと購入には二の足を踏んだ。戦後になって研磨技術が発達すると一般人でも手の届く値段となった。結果、多くの天文好きが購入し夜空を眺め小惑星や彗星を探索するようになった。知識がいるが、軌道計算も方程式があるから難しくはないので、アマチュアが発見する小惑星は膨大な数になり、結果、小惑星の数もそれに比例して多くなった。
 1960年までに見つかった小惑星は(軌道が確定した数のみで)1638個だったが、2000年までには実に15000個以上も見つかった。軌道が確定していない(登録されていない)数を入れると実に10万個を越えた。多くはアマチュア天文家によるものだった。中にはアマチュア天文家の小林隆男さんのように1人で2300個以上も見つけた人もいる。

 小惑星の命名はある程度まではローマ神話などの神話に出てくる人物の名前を充てていたが、あまりにも数が多すぎるので、命名は発見者が行ってもよいとされた。言うまでもないが、公序良俗に反する言葉は禁止であるし、他にも命名にはアルファベットで12文字以内(実際には16文字以内だが大抵の場合は12文字以内)などの制約がある。命名権の売買は禁止されている。

 2000年以降、小惑星が爆発的に見つかるようになったのは小惑星の発見に国家が介入した理由がある。リンカーン地球近傍小惑星探査・・・通称LINEARはアメリカ空軍とNASAとマサチューセッツ工科大学が共同で小惑星を探査するプロジェクトで、2000年以降の小惑星発見はLINEARによる発見がほとんどである。これは日本人に小惑星発見をさせないようにとかいう低俗な理由ではなく、小惑星は多く発見されるに伴って地球に近づく軌道の小惑星も多く発見された。当然ながら中には地球に衝突しかねない小惑星もあるのではないかと考えられるようになった。そのため事前に発見して衝突しそうな小惑星を先に発見してなんらかの対策をうてる時間を稼ぐためにこのプロジェクトを発足させた。今ではかなり小さな小惑星でもこのLINEARに見つかるようになったため、素人の天文愛好家が小惑星を発見するのは至難の業となってきている。

 
 小惑星はチチウス・ボーデの法則に合致することから、かつては惑星級の大きさがあったものが、なんらかの理由で破壊され(似たような大きさ同士の星が衝突したなど)粉々となり、木星の大きな重力でそれ以上の成長ができなくなったという説があった。ただ、小惑星は大型のものは全て発見されており、それらを全部集めても月の半分以下にしかならないし、小惑星の隕石等を調べても、岩石が圧縮によって熱せられた形跡がないことから、恐らくは木星の強大な重力によって成長(ぶつかってくっついていく)が阻害されたのではないかと言われている。惑星の軌道は似たようなものがあると弾き飛ばされるか衝突するが木星の重力でそれができなくなったからなのだろう。

 小惑星は数が多いためにいくつもの種類に分けられる。種類は多いが、小惑星の大半はC型、M型、S型、に分けられる。
C型は炭素を主体とした小惑星で全体の75%がC型小惑星だとされる。M型は金属含有量が多い小惑星だが、数自体は多くない。S型はケイ素を主成分とした小惑星で全体の15%ほどとされる。これらは惑星の成分の比率と大体似ており、木星がなかったら小さいながらも惑星として育った可能性はある。

 小惑星は数が多く、かわった軌道を描いているものも多い。小惑星の多くは火星−木星の間を公転しているが、中には火星の軌道を横切って内側に公転する小惑星も少なくない。たとえば小惑星イカロスは水星よりも内側に近日点をもつほどに楕円軌道を描いている。
 中には木星のラグランジュ点(重力が安定する地点)に固定するように公転する小惑星もある。1906年に小惑星アキレスが発見されたのを皮切りに400個以上が発見された。これらは俗にトロヤ群小惑星と呼ばれる。木星に先行する地点(ラグランジュ4)の小惑星は「ギリシャグループ」、木星に追従する小惑星群は「トロヤグループ」と細分化して呼ばれる。「トロヤ群」と呼ばれる理由は、先に書いたように最初に発見された小惑星が「アキレス」と命名されたからで、「アキレス(アキレス腱の名の由来で有名)だからトロヤ戦役をモチーフにしよう」考えらしい。そのために、トロヤ群小惑星はトロヤ戦役の兵士の名をつけるルールが確定したが、そのルールは多少先に決まったので、それ以前に発見されたトロヤ小惑星では、へクトル(イリオス勢(トロヤ側)の総大将)がギリシャグループにあったり、パトロクロス(圧倒的にトロヤ軍に劣った戦力でギリシャ側を勝利に導いた将軍。ヘクトルに殺された)がトロヤグループにいたりもする。

 一般のイメージとして、小惑星帯にはたくさんの小惑星があると考えられている。スターウォーズなどの映画では密集した状態で存在しているが、実際には小惑星同士の感覚は300万km以上離れている。理由は簡単で、映画のように密集した状態では存在できないからで(互いの重力でくっつくから)、実際の小惑星帯は空間そのものである。小惑星帯を越えた探査機は何機もあるが、小惑星にぶつかったりぶつかりそうになった探査機は1機もいない。冥王星探査機「ニューホライゾンズ」は小惑星APLの近くをたまたま通っての写真撮影を成功させているが、その時の再接近時の距離は10万kmであった。この距離を遠いか近いかは判断が難しいが小惑星は狙いをつけないと接近すら難しいといえる。



 小惑星探査は行われているがあまり積極的には行われていない。探査機による小惑星探査が行われた最初の事例は木星探査機「ガリレオ」による、小惑星イダとガスプラだった。ガリレオは最終目標は木星だが特別に予算を貰い小惑星探査を行った。前述のように予算を貰って軌道修正等の管制を行わないと(人手がいるので人件費が当然必要になる)小惑星へはたどり着けない。
 いくつかの小惑星探査が行われたが日本で馴染みが深いのは、小惑星イトカワへの探査だろう。探査機「はやぶさ」は2003年5月9日に打ち上げられた。当初は違う小惑星の探査を予定していたが、諸事情によりイトカワへと変更となった。イトカワへの軟着陸を成功させて離陸にも成功させた。ただし、主目的であるサンプルリターンの成功の可能性は不明で、こればっかりは戻ってきて調べないとわからないというのが本音らしい。順調にいけば2010年6月に地球に戻る。







大きさの比較写真。
右が地球で、左上が月、左下は小惑星最大のケレス。
お互いの距離関係はデタラメだが、大きさの比率は正確。
小惑星帯にある全ての星を集めてもこのケレスの倍程度にしかならないと考えられる。
いかに小惑星が小さいかがわかる。





小惑星ガスプラ。木星探査機「ガリレオ」の撮影。
ちなみに、これが探査機が捉えた最初の小惑星である。
小惑星は望遠鏡で見ても点にしか見えないので表面まではどうなっているか分からなかったが、
「岩石を大きくしたようなもの」
という研究者の予想通りの写真だったとも言える。





小惑星の衛星「ダクティル」
このページの一番上の写真の衛星を拡大したもの。
小さいながらもクレーターが多くあるのがわかる。
小惑星が衝突を繰り返しているのが分かる一葉でもある。





小惑星「エロス」。
表面はレゴリスという物質で覆われている。
地球からの観測で、変光が確認されたために、恐らくは細長い星で、自転の際に
見える面積が変わるためだと予想されていたが、その通りの結果だった。
エロスは地球に最大2300万kmも接近するために、昔から知られてはいた。

エロスに限ったことではないが、小さく、レゴリスに覆われていると、
小物体が衝突した際に星全体が揺れるので、レゴリスが崩れてしまう。
そのために、クレーターが曖昧な形になってしまう。





ハッブル宇宙望遠鏡で見た、小惑星「パラス」。
ファミコンのキャラのように見えるほどにドッドが荒いがこれは目標物が小さいことによる。
パラス自体は直径が550kmほどと小惑星にしては大きい部類に入るが
(ケレスについで2番目に大きい)
その大きな小惑星でも、また、地球での最高の画質を誇るハッブル宇宙望遠鏡を使っても
こういう風にしか見えないのである。





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