彗星
comet



↑ヘールボップ彗星。
かなり雄大で華麗な一葉であるが、これは写真ならではと言える。
見て分かるように彗星の尾の部分の先の星が見えている。
それだけ希薄な尾であるがゆえに、肉眼だとあまり見えない。
しかし、それでも大彗星だと尾はかなり見ることができる。



 日本語の「彗星」は俗に「箒(ほうき)星」と呼ばれるように、彗星の尾が箒に見えることから名前が付けられた。英語で彗星を表す「Comet」は「髪の毛」からつけられたとされる。つまりは彗星の尾が髪の毛にたとえられたということだが、それだけ彗星は、昔から本体よりも尾が注目された天体であったといえる。

 昔からは彗星は地球から頻繁に観測されていたため、古代史でも彗星に関する記載は多い。史記の秦始帝本紀にある秦王政7年(紀元前240年頃)に始皇帝が彗星を目撃したという記載がある。これは時期的に考えるとハレー彗星ではないかと言われている。ヨーロッパでは「不吉の前兆」とされたため、不確かなのを含めると、彗星に言及した書物は多い。ただ、この頃は彗星は地球の大気現象だとされていた。つまり夜に出る光る雲とでも思っていたのだろう。今では宇宙空間を飛翔しているのは周知の事実だし、実際、彗星は世界各地で観測ができる(太陽の位置と出現場所の関係上、地球のどちらか半分か、北半球・南半球のどちらかでしか見えないということはあるけど)。つまり情報網があれば大気現象ではないということは分かるのだが、昔はインターネットは無論の事、電話すらなかった時代なので致し方ない事なのだろう。

 彗星が宇宙空間での現象だと見抜いたのは、天文学者のチコ・ブラーエだった。彼は弟子と共同で彗星の測量を行い、その観測角度から視差を算出し距離を測定した所、地球と月の距離の4倍以上の距離というのがわかった。つまり明らかに宇宙空間での現象という事実は証明された。ただ、これを受け入れなかった人も多く、地動説を唱えたことで有名になった。ガリレオ・ガリレイもその1人だった。

 彗星が宇宙空間にあるのは数学的に証明されたが、その運動はよくわかっていなかった。宇宙空間を直線で動くと考える者もいれば、放物線を描くと考えた者もいた。答えからいえば後者が正解であり、彗星の運動も惑星と同じでケプラーの法則が当てはまるのだが、ケプラー本人は自分の法則は惑星にしか当てはまらないと考えていたのか、彗星は直線で動くと考えていたらしい。

 この問題を解決したのは、アイザック・ニュートンだった。彼の著書「プリンキピア」で詳しい説明がなされた。簡単にいえば万有引力の逆2乗の法則によって運動しているというもので、証明するために、出現した彗星の軌道予測を行いほぼその通りに運動したために広く信じられるようになった。

 彗星の軌道は大抵がすごく細長い楕円で、公転周期が3年のもあれば数百万年のもある。離心率が1を越える彗星もある(つまり楕円を描かないので二度と戻ってこない)。彗星の質量は軽いものが多いので地球や木星などの重力の影響を受けやすく、公転周期はよく変わる。また、太陽に接近しすぎて分裂したりもするし(エンケ彗星が有名)極端な場合、太陽に突入して消滅する場合もあるだろう。シューメーカー・レビ第9彗星は木星に突入して消滅しているが、このように惑星に衝突する場合も少なからずある。
 彗星は前触れも無くいきなりやってくる。惑星・準惑星・小惑星などはだいたい黄道面で運動しているが、彗星はそれにとらわれずどこからでもやってくる。
 これらを総合してわからない事は彗星のふるさとがどこなのかという問題だった。公転周期が短期(概ね100年以内)の場合は軌道がほぼ黄道面なので、揮発成分(氷とは限らない)が多い天体が太陽系を遊弋(ゆうよく)している時に惑星の摂動で軌道が狂ってしまって太陽の重力にひかれて彗星となると推定はされていた。ただ、公転周期が数千年と長くなるものはどこからでもやってくるためその理論は使えなかった。
 1950年、オランダの天文学者であるヤン・ヘンドリック・オールトはこれら長周期彗星の軌道計算をつぶさに行い、長周期彗星の遠日点の多くが0.1光年から1光年の間に集中することをつきとめた。この距離はだいたい太陽の重力圏ぎりぎりのために、漂うのだとされた。そのためオールトはこの空間に太陽を取り巻くように彗星の巣(ようは氷の塊みたいなのが数千億個もある)があると発表した。俗に「オールトの雲」と呼ばれるが、この説には彗星に関しての矛盾点がなく、当時から広く信じられるようになった。ただ、当然ではあろうが、確認した者はいない。そのためか、図鑑など子ども向けの天文誌では長らく取り上げられなかった。1990年代になって同じく仮説にすぎなかった、エッジワース・カイパーベルトが発見されて実際にあることがわかると、同じくしてオールトの雲も現実味を帯びてくるようになり取り上げられるようになった。ただし、実際に発見された訳ではない。
 個人的な意見だが、自分が思うには本当にあるのだろうかと懐疑的である。恒星間に漂っていた天体が太陽の重力に引かれて彗星になるのではないかと思う。

 彗星の疑問点まだあった。彗星本体がどういった物質で出来ているかがわからなかった。ニュートンは、彗星は硬い物質でできていると考えていたらしい。一部には、彗星が揮発成分でできた柔らかい星だと考えた人もいたが決定打はなかった。
 19世紀中盤以降、流星群の発生源として彗星が注目された。ようは彗星の通り道に地球が突入(地球の公転軌道内に彗星が通過)すると流星群が発生することから、彗星の尾は岩石類で形成されると考えられるようになった。つまり彗星は土砂の塊であり、少しばかりの水分がそれに含まれているのだとされた。つまりは水分が揮発する際に砂が一緒に放出されるものだとされた。しかしこの考えでは水分がすぐになくなってしまい、ハレー彗星のように何度も彗星の尾を放出できないのは目に見えていた。

 第二次大戦が終了した1950年、アメリカの天文学者「フレッド・ホイップル」が彗星は「汚れた雪球」であるという説を発表した。この説は広く信じられた。たしかに汚れた雪球だと今までの観測結果とは矛盾しなかった。
 1986年にハレー彗星が地球に接近した時は多くの国から観測衛星が打ち上げられた。特にESA(ヨーロッパ宇宙機関)のジオットはハレー彗星のコマの約600kmほどまで接近して撮影を行い成功させた。観測の結果、アルベド(反射能。この数値が高いほど光をよく反射する。氷が主体だと数値は高くなる)が、4%ほどしかないという事が分かった。月でも7%ほどなので汚れた雪球というには遠いイメージがある。私見ではあるが、彗星も冥王星軌道にある太陽系外縁天体と同じようなものではないだろうか。太陽系外縁天体も氷で覆われている星が多い。極端な例だが、観測で氷で覆われていることが分かっている冥王星も彗星のような軌道に乗れば彗星のように尾を引くだろう。冥王星のように巨大な天体が彗星になれば(冥王星の直径は約2300km、ハレー彗星の本体は長い部分でも16kmほど)それこそ、オーロラなんて比較にならないほどの天文ショーとなるだろう。つまりは彗星は特殊な天体ではないと言える。


 前に書いたように彗星は前触れもなく突然やってくる。それを見つけようとする天文学者やアマチュア天文愛好家は昔から多かった。フランスの天文学者シャルル・メシエは彗星を探すのに、彗星と見間違える紛らわしい天体をカタログとして自分で番号を与えて区別して見つけやすいようにした。たとえば、オリオン大星雲を「M42」と呼ぶが、このMはメシエのMである。余談ながら、メシエはこのすべてを星雲だと思っていたが、多くは星団や銀河を誤認して星雲と思っていた。M1からM45までのメシエ天体で本当に星雲だったのは8個にすぎない。M40は星雲でも星団でも銀河でもない2重星だったためM40は欠番となっている。
 さて、彗星を探す者をコメットハンターと呼ぶが、このコメットハンターは専ら素人のアマチュア天文愛好家が多かった。専門の天文学者は天体を見る以外にも論文を書く必要もあるし、雑誌に寄稿することもあるし、天文台に勤めているのならばその業務もこなさないといけなかった。素人は星を見れたらそれで満足だし、彗星を発見できたら自分の名前が残ることになる。それが大彗星だったらほぼ永久的に名前が残ることになる。彗星の命名基準は小惑星と違って、基本的に発見者の名前がつけられる。同時に複数の人間が発見したら報告順に3名までの名前がつけられる。実際には同時に発見するのは2名までの場合が多い。
 戦後になって、それまで高値の華だった天体望遠鏡の値段が下がってくると、アマチュアの天体愛好家がこぞって彗星を探し出すようになった。日本でも戦前から愛好家が少なくなかったが、昭和40年に池谷薫さんと関勤さんが発見した彗星「池谷・関彗星」が地球上から大彗星となって観測されて以降、日本での愛好家は爆発的に増えた。そのため新しい彗星の発見者の数で日本人が1番だった時期はいくつもある。21世紀になってLINEARなどの地球近傍小惑星探索プロジェクトが発足するとこれで発見される彗星が多くなりアマチュア天文愛好家が発見するのは難しくなった。探索プロジェクトが発足したのは日本人に彗星発見の功績を与えないためとかいう低俗な理由ではなく、何時・何処から現れるかわからない彗星は地球に衝突する可能性が常に存在するために、早く見つけて早く対策を取るためという理由がある。

 ただ、何度も言うが彗星はどこから現れるか分からないので、ほぼ黄道面を運動する小惑星と違ってアマチュア天文愛好家にも最初に発見する名誉の可能性はないわけではない。しかしながら、彗星は何十万とある小惑星と違って頻繁には出現しないためその可能性は低いといわざるを得ないだろう。池谷・関彗星を発見した、関勤さんの場合、2009年現在で59年も天体観測を行っているが、その間に200個以上もの小惑星を発見しているにもかかわらず、発見した彗星の数は6個にすぎない。






彗星の尾は2つある。
青い尾は彗星本体の揮発したガス(イオン)が太陽風で吹き飛んで発光したもので
白い方は揮発した際に一緒に飛び出たチリ(岩石のかけら等)が太陽風に吹き飛んで太陽光が反射して
光っているもの。
普通、地球上で肉眼でよく観測できるのはチリの尾の方である。
一般に、イオンの尾は太陽とほぼ正対するが、チリの尾は彗星本体が高速で動く関係上、太陽に近い場合は正対しない。
そのため、地球と太陽と彗星の位置の関係上、彗星の尾が太陽に向かって伸びるように
見える場合もある。





ヨーロッパ宇宙機構の探査機「ジオット」が撮影したハレー彗星の彗星本体。
写真左側の一部が光っているが、これはこの部分が揮発しているため。
彗星は星全体が揮発するのではなく、特定の部分のみが揮発している。





ウィルド2彗星。探査機「スターダスト」の撮影。
彗星というよりは小惑星の1つに見える。
実際、小惑星の中には揮発成分がなくなった彗星が混ざりこんでいる例もあるらしい。

彗星(コメット)は本文でも触れたが、過去には気象現象と思われており、飛翔体とも思われていた。
そのため航空機にその名前がついたものが多い。
「彗星」は日本海軍の艦上爆撃機にその名がつけられたし、
「コメット」はイギリスのデ・ハビランド社の旅客機の名前につけられた。
ドイツ語の「コメート」ではドルニエ社の旅客機にその名前があるし、
メッサーシュミット社のロケット戦闘機Me163にもその名前がある。
余談ながら、戦車にコメットと名づけられた例もある。





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