海王星
Neptune



↑アメリカの探査機「ボイジャー2号」が撮影した海王星。
海王星は望遠鏡で見ても青い星に見える。
ただ、やはり実際に間近で見る海王星のこの海を思わせる青色は全世界を驚愕とさせた。
写真中央にある大黒斑は木星の大赤斑と比較された。
ただ、5年後にハッブル宇宙望遠鏡で観測した際には、この大黒斑は消えていた。
恐らくは、海王星では日常的に起こる気象現象なのだろう。


海王星の情報
赤道半径
24764km
軌道半径(平均)
30.07AU
質量(地球=1)
17.15
密度
1.64g/cm3
赤道重力(地球=1)
1.11
自転周期(地球日)
0.671日
公転周期(地球年)
164.77年
赤道傾斜角
27.8°
脱出速度
23.71km/s
 天王星の発見は天文学界に衝撃を与えた。地球を除き太陽の惑星は5つしかないという常識を覆したからである。天王星が発見されてから観測が行われたが、観測していくうちに計算値よりも少しずつであるが、軌道にズレが生じてきた。土星・木星の摂動(重力が影響する軌道のズレ)を考えてもそのズレが許容範囲外であった。考えられる理由は1つ。土星・木星以外の外部要因(つまり天王星の外側の軌道を回る惑星の存在)であると思われた。

 1846年にフランスではユルバン・ルベリエが、イギリスではジョン・アダムズが計算を行い、天王星の外側を回る星の位置を推定した。ルベリエはドイツのヨハン・ガレに、アダムズはジェームス・チャリスにその計算データを元に観測を依頼した。結局は1846年9月23日にガレが海王星を発見し、チャリスは発見することはできなかった。計算データは両方ともほぼ同一で、実際に見つけた位置と計算上の位置は1度ズレていたものの、ほぼ正確であったといってよい。チャリスは観測記録を見る限り海王星を記録しているのだが、どうも恒星と思っていたらしい。
 当然であろうが、ルベリエとアダムズはどっちが発見者かで揉めた。当時はアダムズがルベリエのほうに発見者の名誉を譲ったが(アダムズが騎士道精神で譲ったとされるが、自分の計算データで発見できなかったからとも言える)、結局は実際に発見したガレを含めて、3人が海王星の発見者として名前が残るようになった。ただし、初心者向けの天文学の本では発見者の名前でアダムズの名を省略する例もある。余談であるが、ガリレオ・ガリレイも木星の衛星を観測している時に海王星を記録していたらしい。ガリレオ自身は恒星と思っていた。
 ちなみに、2人の想定した海王星の軌道だが、実際の軌道とは大きく異なっておりたまたま近くにあったから発見できたとも指摘されている。これは当時の惑星の質量の推定が正確ではなかったのも理由にある。正確に分かったのはアメリカがボイジャー2号を飛ばしてからこの探査機の軌道のズレから惑星の質量を求めた後だった。この不確実な惑星の質量の見積もりは、冥王星発見の伏線ともなっていく。

 さて、海王星が発見されると同時に他の天文学者の観測が開始された。発見されてから僅か17日後の1846年10月10日にはイギリスのウィリアム・ラッセルによって、海王星の衛星トリトンが発見された。その後は20世紀中頃まで新たな発見はなされなかった。遠すぎるという理由もあったろう。

 海王星の組成は水素84%ほど、ヘリウム12%ほどでこの2つの元素が大半を占める点では木星・土星・天王星と変わりはない。他にメタンが2%ほど混ざっている。木星・土星よりもメタン含有量が多いために青くみえるというのは天王星と同じである(メタンは赤波長の光を吸収するために反射するのは青だけとなる)。ただ、天王星よりもより青く、ボイジャー2号の写真を見ても、海と見間違えるような青さである。これは海王星の大気に未知の物資が含まれているからという仮説がある。
 ボイジャー2号が海王星の写真を送って関係者が驚いたのは海王星に大黒斑(大暗斑とも呼ばれる)があった。左右方向の大きさが3万Km以上もあり、地球もすっぽり収まる大黒斑は木星の大赤斑と比較された。地上からの観測(当時はハッブル宇宙望遠鏡はなかったのでもっぱら地上の大型望遠鏡)では大黒斑は見つけられなかった。この大黒斑はその大きさから大赤斑と同じく恒久的に存在していると考えられた。ただ、数年後にハッブル宇宙望遠鏡で海王星を観測した時には大黒斑は消滅していた。ただ、別の場所に規模が小さい黒斑があるのがこの時確認された。海王星の黒斑は土星の白斑と同じく短命であるらしい。
 大黒斑に関しては情報があまりないが、ボイジャー2号の観測では反時計周りに回転しており、風速は秒速650m/sほどと推定されている。この点は木星の大赤斑に似ているが大赤斑や地球の高気圧と違って、大気の集まった場所ではなく、逆に大気が薄い場所(低気圧ではなく地球のオゾンホールみたいな現象)ではないかと推定されている。情報が少なく、実際の所はよく分かっていない。

 
 海王星の衛星はトリトンの発見以降はなかなか見つからなかったが1949年になって、カイパーベルトの提唱者であるジェラルド・カイパーが新たな海王星の衛星であるネロイドを発見した。1981年になってあらたにラリッサが発見されたが、星の掩蔽(遠くの恒星を隠すことによって間接的に衛星を見つける事。なので直接的に観測されたわけではない)での観測であり、この時点ではまだ確定はしていなかった。
 大々的に海王星の衛星が発見されるのは1989年のボイジャー2号が観測を行った時で、実に5つの衛星(プロテウス・ナイアド・デスビナ・タラッサ・ガラテア)を発見した。またこの時に海王星には4つの環があることもわかった。21世紀になって、さらに5つの衛星(ハリメデ・サオ・ラオメディア・プサマテ・ネソ)が発見され、今現在(2008年5月)の海王星の衛星は13個となっている。


 海王星の環の存在は地球上からの観測で存在自体は予測されていた。ボイジャー2号の観測で5本の環があることが確認された。この環はアダムズ・ルベリエ・ガレ・ラッセル・アラゴと命名された。前者3つは海王星の発見者の名から、ラッセルはトリトンの発見者、アラゴは19世紀の政治家(正確に言えば数学者・物理学者・天文学者とオールマイティに活躍した人)の名前からとっている。うち、アダムズ環は所々が明るく(この明るい部分はアークと呼ばれる)、完全な環とはいえないために、海王星の環は4つと解説される場合もある。
 アーク部分はボイジャー2号が観測した時と、後にハッブル宇宙望遠鏡で観測した時と比べると、その輝きが大きく減退しているのがわかった。恐らくは、その明るい部分(ようは細かい物体がたくさん集まった部分)が散らばった可能性が大きい。いずれは他の4本の環のように均等な環となるのだろうか。


 海王星を訪れた探査機は今のところ(2008年現在)、アメリカのボイジャー2号しかない。NASAでは20年後ぐらいに再度海王星探査機を打ち上げる予定があるという。ただ、予算獲得の問題もあり、中止となる可能性もある。
 海王星は再び訪れるにはあまりにも遠すぎるのである・・・。






海王星の雲。
見た目には地球の雲と大差ないように見える。
実際には地球の雲と違って、この海王星の雲はメタンでできている。
横に大きくなびいているのは風速325m/sの風がふいているため。
ちなみに、この上空の気温は-240℃





逆光から撮影した海王星の環。
写真では2本しか見えないが、実際には4本ある。





海王星と海王星の衛星「トリトン」
近くにあるように見えるが、実際には海王星から35万km離れている。
つまり、海王星の直径の7倍ほどの距離を公転しているのだが、この距離間は
地球−月の間とだいたい同じである。
そういう意味では「近い」と言える。

トリトンは海王星の時点と逆行している。
直径約2700kmの巨大衛星ながら、母星(惑星)と逆行しているのはトリトンだけである。
恐らくはトリトンは元々エッジワース・カイパーベルトにあり、海王星の重力に捉えられて
海王星の衛星になったと考えられる。
惑星の公転と逆行すると公転時にブレーキがかかり、つまり公転速度が落ちて
じわじわと海王星の方に寄っていくことになる。
約2億年後には近づきすぎてロッシュの限界点を越えた時点で粉々に砕け散り海王星の環となると
考えられている。





トリトンに接近した時に撮影した写真。ちなみに、写真上が南。
上方向にある黒いものは火山だと考えられる。
火山といっても地球のそれと違って、マグマが噴出しているのではなく、
地下の気化した窒素が噴出している、いわゆる「間欠泉」のようなものだと言われている。
実際、トリトンには薄いながら窒素の大気がある。

ただ、海王星との距離が近いこともあり、潮汐力でトリトン自体がもみくちゃにされて
木星の衛星「イオ」のような火山ができている可能性もなくないだろう。





さらば!海王星!
ボイジャー2号が海王星から離れる際にふり向いて撮影した写真。
ふりむきざまに撮影した写真はこの他に何枚かある。
ボイジャー2号は海王星との別れと同時に太陽系との別れとなった。
この後、ボイジャー2号は暗黒の宇宙をあてもなく飛んでいくことになる。





戻る