天王星
uranus



↑天王星は自転軸が横倒し(黄道面に対してほぼ平行の97.86°)になっている。
理由はよく分かっていないが、天王星が形成される際に他の惑星級の星と衝突して
横倒しになったのではないかと考えられている。
少なくとも、初めっから横倒しだというのは力学上難しいと考えられる。

また、天王星には他の惑星の例に漏れず磁場がある。
ただ、他の惑星と違って自転軸とだいたい同じではなく
自転軸から59°も離れている上に磁場の両極を結んだ線が天王星の中心にきていない。
この理由もわかっていない。



天王星の情報
赤道半径
25559km
軌道半径(平均)
19.19AU
質量(地球=1)
14.54
密度
1.27g/cm3
赤道重力(地球=1)
0.89
自転周期(地球日)
0.718日
公転周期(地球年)
84.02年
赤道傾斜角
97.9°
脱出速度
21.30km/s
 天王星の発見は天文学会に衝撃を与えた。なぜかというと、「惑星は5つしかない」(地球を除く)という古来からの常識を打ち破ったからである。コペルニクスの地動説ほど有名ではないにせよ、もはや古来からの常識は通用しなくなり、新発見からの事実を見直して新しい天文学を構築するようになった・・・と言えば言いすぎだろうか。

 天王星は1781年にイギリスの天文学者ハーシェルによって発見された。ハーシェル自身も、観測当初は彗星と思ったらしい。ただ、観測していくうちに彗星と仮定した軌道とは食い違うようになり(ようは太陽に接近する軌道をとらなかった)、そこで、太陽を中心とした円軌道で計算するとほぼ軌道が合致するようになった。つまりは火星やら土星やらと全く同じ、太陽の周囲を公転する「惑星」だということが分かった。軌道を計算すると土星よりもずっと遠い場所を公転し、大きさ(質量)もかなりあると推定された。
 ハーシェルは当初、この新惑星を当時のイギリス国王であるジョージ3世にあやかって、「ジョージ惑星」と命名したが普及しなかった。隣国フランスでは敵国の国王の名前をつけるのを嫌ったのか「ハーシェル」と命名されて、これはそこそこ普及したという。ただ、個人の名前だろと敵の国の名前をつけるのを嫌ったのか、ドイツの天文学者のチチウス・ボーデの法則で有名なボーデがギリシャ神話から「Uranus(ウラヌス)」という名前を提案した。これは各国で素直に受け入れられ、当事者のイギリスでも19世紀過ぎから定着するようになった。19世紀になって小惑星が次々と発見され、その命名には神話の登場人物の名前をつけるのが定着したという理由もあったろう。
 ちなみに、ギリシャ神話から名前がついた惑星はこの天王星のみである(他はローマ神話から命名されている)。

 天王星は地球に最接近した場合、5.6等級の星として見える。人間が目視可能な最小の等級は6等級なので、肉眼でも見えることになる。実際、天王星自体はハーシェルの発見以前に何人かが恒星と思って観測した記録がある。イギリスの天文学者フラムスティードが1690年ににおうし座に34番目の星を発見したが、これが実は天王星だった。そのためにおうし座34番星は欠番となっている。
 どうにせよ、動く惑星という発見を最初に行ったのはハーシェルであり、彼が発見者であるというのは疑いのない事実である。

 天王星を観測して各種データを測定した結果、木星と同様のガス惑星と判定された。そのため長らく木星型惑星に分類されていた。ただし、ボイジャー2号の観測で、天王星の内部は木星のそれと違って氷のマントルでできているとこが指摘された。そのため今では木星型惑星(ガス惑星)と区別して天王星型惑星(氷惑星)と細分化された。
 ボイジャー2号の観測データでは、火星よりやや大きめの岩石が核を形成し、地球の3倍強の大きさの氷のマントルでそれを覆い、その外側に水素を主成分としたガスの大気があると考えられる。

 天王星は望遠鏡で観測すると緑色に見える。これは天王星にメタンが含まれておりこのメタンが赤色を吸収するために、外から観測すると緑色に見えるためとされる。だからといって天王星はメタンの塊というわけではなく、天王星の大気の主成分は水素でできている。メタン含有量は2%弱にすぎない(木星は0.1%)。

 天王星の特徴として自転軸が他の惑星と比べると横倒しになっている点があげられる。つまり黄道面にたいしてほぼ水平(公転軸に対して98度傾いている)ということになる。これは惑星では天王星のみの現象で、なぜこうなったのかは、恐らくは太陽系が形成される時に、原始天王星が、地球ぐらいの大きさの星と衝突して自転軸が横倒しになったと考えられる。というよりもそう考える以外に理由が考えられない。その衝突の際に散らばったチリや氷が天王星の環を形成したとされるが、土星や木星がそうであるように、何十億年も環が継続して形成されているのは力学上考えにくく、これは拡大解釈だろう。

 先に書いたように、天王星には環が存在する。これはハーシェルが天王星を発見した当初から、ハーシェルが「天王星には環がある」と指摘していた。ただ、他に観測した人がおらず、確認ができなかった。1977年に、カイパー空中天文台(アメリカ空軍のスターリフター輸送機を改造して作られた空飛ぶ天文台)で天王星を観測中に天王星近辺の星が一時的に点滅をくりかえす現象が確認された。この点滅を詳細に観測することによって、天王星には9本の環があることがわかった。この環のデータはハーシェルが環を観測したときのデータとほぼ一致したため、ハーシェルが実際に観測していたのは疑いないといっていい。ただ、当時の観測機器で天王星の環が見えるのかの疑問は残った。個人的に思うに、この天王星の環は発見以前にも、各地の天文台の天王星の写真を見る限り、環らしきものが映っているのもある(1970年代に発行された学研の図鑑等)。条件がよければ見えたのではないかと思える。1985年にボイジャー2号が天王星に到達してさらに2本が発見され、天王星の環は計11本あることが分かった。

 天王星の衛星は2007年現在27個が発見されている。この全てが命名されているは、面白いのは命名基準が神話ではなく、シェークスピアかアレキサンダー・ホープの作品の登場人物からとられていることによる。これはハーシェルが天王星の惑星を6個発見した際に名前が同じ(ウィリアム)からかシェークスピアの作品「夏の夜の夢」の登場人物からとった名残りなのだろう。ちなみに、この時に発見した6個の衛星の中で、ティタニア、オベロン以外は恒星を誤認して観測していた。
 1851年にウィリアム・ラッセルがアリエル、ウンブリエルの2個を新たに発見し、1948年にはジェラルド・カイパー(カイパーベルトの提唱者)がミランダを発見した。この合計5つは直径が比較的大型で、この5つをもって「天王星の5大衛星」と呼ぶ。

 天王星を観測した探査機はアメリカのボイジャー2号しかない。この観測は天王星を知るに十分以上の観測データを地球に送信した。そのデータでは天王星にも磁場があることがわかった。ただ、変わったことに、天王星の磁場は自転軸から60度も傾いた場所に貫かれており、しかも磁場のN極とS極部分を直線で繋いでも天王星の真ん中を通過せず、半径の3分の1も離れた場所が中心になっている。なぜかはよく分かっていない。

 天王星はボイジャー2号の写真を見る限り、青白色の穏やかな星に見える。ただ、ハッブル宇宙望遠鏡の観測では大気の活動は活発なようで、大黒斑があらわれることもある。





↑アメリカの探査機「ボイジャー2号」が撮影した天王星の写真。
青白いが、地上での観測では緑色に見える。
ちなみに、天王星に限ったことではないが、太陽との距離があまりにも離れすぎているために、
写真撮影の際は露光時間を多めにとっている。
そのため、我々が宇宙船で直に天王星を見る機会があってもこのようには見えないはずである。





ハッブル宇宙望遠鏡で赤外線撮影された天王星。
環がよく見えるし、周囲に衛星も見える。
天王星右の明るい物体のようなものは気象活動によるものだろうか。
ちなみに、天王星は他のガス惑星(木星・土星・海王星)と違って、
内部の熱源がほとんどない。理由は分かっていない。





天王星の衛星「ミランダ」
見てわかるように、激しい引っかき傷のような地形がある。これは、
「大衝突でバラバラになった後で再集結した」
という説が有力だが、実際にはどうだろう。
本文でふれた5大衛星の中では一番内側を公転しているので、天王星の重力による潮汐力がこういう地形を作ったとも
考えられるし、あるいは、やや小さめの天体がかすめるようにして
衝突したとも考えられなくもない。
少なくとも、地質学的には内部変動では説明ができない地形である。





天王星最大の衛星「ティタニア」
やや不鮮明だが、多くのクレーターが存在している。
この写真の右下に溝らしきものがあるが、これは地殻変動の作用と考えられる。





天王星の衛星「アリエル」
見て分かるように溝らしき地形が多い。気温上から水の川とは考えられず、
地殻変動によるものだろう。
天王星の強大な潮汐力がそうさせたのか。





さらば!天王星!
ボイジャー2号がふりむきざまに撮影した天王星。
地球から見ることが出来ないこの一葉はベストショットの1枚であるとも思える。
この後、ボイジャー2号は海王星へと向かう。





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