用意する材料
小麦粉(薄力粉)            80g
バター(無塩)              60g
卵                    4個分
水                    65cc
牛乳                   65cc

まずは、バターと牛乳と水を鍋にいれて沸騰させ、バターを溶かし切ります。ただ、その前に、下ごしらえとして、小麦粉をふるいにかけてダマをとっておきましょう。あと、卵も溶いておきましょう。

強火で牛乳と水を沸騰させバターを溶かしきります。注意点としては沸騰させて時間を置くのは問題ですが、ちゃんと沸騰させること。沸騰させておかないと膨らまないようです。

ぐつぐつと泡たてながら沸騰しているのを見計らってふるった小麦粉を入れて素早く木しゃもじで混ぜます。混ぜる時に結構熱いですから中火にしてもいいですが、火は消さないように。

混ぜて混ぜて混ぜて混ぜくりますとにかく熱い!。火を止めるタイミングは、多くのサイトでは「鍋底に膜がつきだした頃」だそうですが、左写真のようにテフロン加工のなべだと膜がつかないので、自分的には混ぜながら、生地の底が微妙に焦げ付く(茶色の焦げ目がついたらいけませんが)あたりで火を止めています。

火を止めたら、溶いた卵を入れて木しゃもじで混ぜます。余熱で混ぜるという感じですかね。一気に入れるのではなく、ちょっとずつ入れましょう。ちょこちょこ入れて、混ぜて、ちょこちょこ入れて混ぜて・・・を繰り返します。材料に卵4個とありますが、全部入れるのではなく、適度な柔らかさになったらそこで入れるのをやめましょう。卵は大きさが全部異なるので余るのは仕方がないです。

適度な柔らかさというのは難しいですが、左の写真のように、木しゃもじですくって3秒ぐらい粘るけど、べとんと落ちるみたいな感じがちょうどいいです(汗)。絞り出し袋(ないしビニール袋)に入れたさいにべたつかない状態だと卵不足で、ホットケーキの具のようにべとべと落ちると入れすぎです。

絞り出し袋に入れて直径6cmぐらいに絞って出します。個人的には絞り出しはビニール袋を使うのがおすすめです。タネをビニール袋に入れて角をちょっと切って絞るのですが、使い捨てできて洗うの手間が省けていいです(汗)。ビニール袋は厚めがいいです。
左の写真でヘンな形に絞れているのはご愛嬌(逝)

タネを絞ったら、濡らしたフォークでタネの頭を軽く叩きます。尖がっている部分を引っ込める為です。
これは東芝のオーブンレンジを買った説明書のレシピ集に書いてあったのですが、やらんでもいいような気がします。

オーブンを予熱しましょう。180度に予熱しておきます。


予熱が完了したらタネを入れて、霧吹きでタネに水蒸気を加えて180℃で35分焼きます
ちなみに、左の写真の東芝製オーブンはスチーム機能があるので非常に楽でいいですね〜。

焼いている途中。
膨らんできていますねぇ。ただし、ちょっと気になっても途中で絶対に扉は開けない事。冷たい空気が入るとしぼんでしまいますよ。

焼き上がり〜。ヘンな形にしぼってもちゃんと丸くなるんですねぇ。

焼きあがったのをカットしてみました。ちゃんと中が空洞です。正直いって、作った自分もびっくりしました(汗)。
市販のシュークリームと比べると生地が厚いですね。本来はこんな感じだそうですが、コンビニなんかの皮が薄いシュークリームはどうやって作っているんでしょうかね。

焼きあがったシュークリームは冷やしてから中にカスタードクリームや生クリームを入れましょう。
カスタードクリームの作り方はこちらを参照してください。




余談・・・

失敗したシュークリーム生地。失敗したら次を疑ってください。

・分量の間違い
・バターを十分に煮沸させていない。
・バターを煮沸させているときに小麦粉を入れていない
・混ぜ合わせ不足


あと、多くのサイトで材料に「砂糖」を入れているのですが、私が砂糖を入れて作ったものは全て失敗しています(左の写真がそうです)。よって砂糖は入れないほうがいいという結論に達したのですが、実際はどうなんでしょうかね。






 シュークリームは実は和製英語で、フランス語のChouと英語のCreamが足されてできた単語です。Chouはキャベツや白菜の葉野菜の総称で、仕上がった格好がキャベツを連想させたためと言われています。ちなみに英語では「profiterole」(プロフィトロール)と呼ばれます。これは日本では小さいシュークリーム(具を中に詰めるのではなく、外にチョコなどをかけて食べるお菓子)の意味ですが、英語圏ではその区別はないみたいです。

 シュークリームの歴史ですが、発祥地や時期はよく分かっていません。計算して作られたのではなく、材料と調理法から考えるに、ベーニエ・スフレを作ろうとしたらシュークリームができてしまった・・・といった感じで、偶然の産物のようです。
 Choeという単語が出てくるのは1655年の事で、フランソワ・ピエール・ド・ラヴァレンヌ著「パティシエ・フランソワ」でLe Poupelin(ル・ププラン)のレシピの中でChoeという単語が出てきます。17世紀頃は焼いていたのではなく揚げていたと考えられます。
 今の形になるのは18世紀からだと考えられます。日本に縁ができるのは、幕末にフランス人のサミュエル・ピエールが西洋菓子店を開いた時に始まります。やがて明治維新になり明治政府が誕生すると、西洋文化受け入れの一環として料理分野でも西洋料理の受け入れを開始します。宮内省(当時)の大膳職(宮中の料理係)だった村上光保はサミュエル・ピエールのお店に3年間修行に出されます。明治7年に村上開進堂を開業します。宮内省や華族、財閥系のいわゆる「お金持ち」を相手にフランス菓子を販売するようになりました。この中にシュークリームが含まれています。
 ちなみに、村上開進堂は今でも営業しています。イギリス大使館の道向かいにあるのですが、老舗らしく「一見さんお断り」です。非常に食べたいのですが、あっしのような田舎者が入るには敷居が高すぎるのかしら(逝)。

 さて、「シュークリーム」の言葉がはっきり出てくるのは、明治36年(1903年)の村井弦斎の小説「食道楽」です。夏の章の第142話に「フライシユウ・クリーム」の項目があります。フライといっても小説を読む限りは焼いています。つまり明治の頃からフランス語と英語の折衷言葉だったのですが、やはりフランス語の「シュー・ア・ラ・クレーム」は言葉的に長すぎたのでしょうか。

 シュークリームは戦前は高級な洋菓子で、とても一般の人が買って食べるようなお菓子ではありませんでした(ちなみに明治29年(1896年)には「両国若松米津風月堂」で市販も行われていましたが高価だったらしい)。これは、シュークリームに入れる具材(特にカスタードクリーム)が日持ちしないという欠点を抱えていたためですが、冷蔵庫が普及しだした昭和30年代にはシュークリームも普及してくるようになり、輸送手段が発達するとさらに安価になりました。これは大規模な工場で一貫生産を行い、冷凍車で運ぶという手段がとれるようになったからです。


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