シュークリームは実は和製英語で、フランス語のChouと英語のCreamが足されてできた単語です。Chouはキャベツや白菜の葉野菜の総称で、仕上がった格好がキャベツを連想させたためと言われています。ちなみに英語では「profiterole」(プロフィトロール)と呼ばれます。これは日本では小さいシュークリーム(具を中に詰めるのではなく、外にチョコなどをかけて食べるお菓子)の意味ですが、英語圏ではその区別はないみたいです。
シュークリームの歴史ですが、発祥地や時期はよく分かっていません。計算して作られたのではなく、材料と調理法から考えるに、ベーニエ・スフレを作ろうとしたらシュークリームができてしまった・・・といった感じで、偶然の産物のようです。
Choeという単語が出てくるのは1655年の事で、フランソワ・ピエール・ド・ラヴァレンヌ著「パティシエ・フランソワ」でLe
Poupelin(ル・ププラン)のレシピの中でChoeという単語が出てきます。17世紀頃は焼いていたのではなく揚げていたと考えられます。
今の形になるのは18世紀からだと考えられます。日本に縁ができるのは、幕末にフランス人のサミュエル・ピエールが西洋菓子店を開いた時に始まります。やがて明治維新になり明治政府が誕生すると、西洋文化受け入れの一環として料理分野でも西洋料理の受け入れを開始します。宮内省(当時)の大膳職(宮中の料理係)だった村上光保はサミュエル・ピエールのお店に3年間修行に出されます。明治7年に村上開進堂を開業します。宮内省や華族、財閥系のいわゆる「お金持ち」を相手にフランス菓子を販売するようになりました。この中にシュークリームが含まれています。
ちなみに、村上開進堂は今でも営業しています。イギリス大使館の道向かいにあるのですが、老舗らしく「一見さんお断り」です。非常に食べたいのですが、あっしのような田舎者が入るには敷居が高すぎるのかしら(逝)。
さて、「シュークリーム」の言葉がはっきり出てくるのは、明治36年(1903年)の村井弦斎の小説「食道楽」です。夏の章の第142話に「フライシユウ・クリーム」の項目があります。フライといっても小説を読む限りは焼いています。つまり明治の頃からフランス語と英語の折衷言葉だったのですが、やはりフランス語の「シュー・ア・ラ・クレーム」は言葉的に長すぎたのでしょうか。
シュークリームは戦前は高級な洋菓子で、とても一般の人が買って食べるようなお菓子ではありませんでした(ちなみに明治29年(1896年)には「両国若松米津風月堂」で市販も行われていましたが高価だったらしい)。これは、シュークリームに入れる具材(特にカスタードクリーム)が日持ちしないという欠点を抱えていたためですが、冷蔵庫が普及しだした昭和30年代にはシュークリームも普及してくるようになり、輸送手段が発達するとさらに安価になりました。これは大規模な工場で一貫生産を行い、冷凍車で運ぶという手段がとれるようになったからです。
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